憤死


 本作を読んだのは文庫版だが、単行本の表紙が真っ白な下地にポップなフォントとまぶしいほどのピンクで表された「憤死」の二文字だったことはよく覚えている。この二つの文字が表紙の縦に並ぶだけだが、二文字だけでかなりの面積を占める。その(あざといくらいに)ポップなかわいらしさは、本作の内容といい意味でミスマッチだからよく考えているなと思った。ポップさやピンクのような明るい色からかけ離れているほうがいかにも綿矢らしいと思える、改めて。

 「おとな」という新聞に掲載されたかなり短いエッセイ(短いながら自伝小説とも言えなくはない)のあとに、「トイレの懺悔室」、「憤死」、「人生ゲーム」という短編が3つ続く構成。「憤死」以外の2編はいささかホラーじみていて新鮮だが、不条理に向き合ったときにどう行動するかというテーマはここ最近の綿矢らしいと思えるし、こちらはホラーではないけれど『大地のゲーム』に通じてくるものがある。あと、『夢を与える』で試みたのは長い人生の中における喜劇と悲劇だったりするわけだけど、「トイレの懺悔室」と「人生ゲーム」では悲劇の部分に重きを置く。

 「トイレの懺悔室」と「人生ゲーム」の構造自体もかなり似ていて、いずれも子ども時代の人間関係に対して大人になったときにどう向き合えるかという課題が提示される。つまり、大人になっても子どものころのようにいられるのか、あるいは子どものころとはまったく違う関係になってしまったことを受け入れるのかという、大きく分けて二つの選択肢と向き合うことだ。この二つをミックスさせることもできるけれど、どちらかを選んだほうが楽なのには違いない。自分と相手の間に何らかの形で線を引くこと。その上で、現実の不可解さに対して改めて向き合うこと。

 「憤死」でも過去と向き合うことになる物語だ。典型的なお嬢様として高飛車だった佳穂が自殺未遂をしたという。お見舞いに行っても佳穂は昔の佳穂のままだ。でもお見舞いに行った私は、佳穂の強がりを見抜いてしまう。彼女のキャラクターの限界がもたらしたのが自殺未遂という結末だったのではないか。一方で、歳を重ねても変わらずにいられる佳穂に少しうらやましさも感じてしまう。だから「自殺、失敗してよかったね」というセリフはあてつけと本心がごちゃ混ぜになっているように見える。変わらないキャラクターはそのままアイデンティティになったとも言えるが、私にはまだそのようなものがない。なりたいと思う相手ではないのに、ないものねだりのような気持ちと、あえてそのままでいてほしいという突き放したような気持ちがこもる。結局のところ、過去そのもののような誰かと向き合うのは容易ではないのかもしれない。(ある程度線を引くことはできるけれども)

 「おとな」と題された最初の短いエッセイも流れに沿うように過去に言及した文章だ。思い出せる最古の夢について筆を進めながら、当時5歳の自分が本当に見た夢だろうかという疑問を筆者は抱く。夢の中での人間関係や彼らの心の底を見抜いてしまう子ども心に感嘆しつつ、常に「おとな」に見くびられている「こども」でしかなかったことを同時に思い出す。やがて自分も「おとな」になって、当時のことを忘れていないと主張するあたりは、ささやかな反撃かもしれない。一撃を食らわす機会は直接はないかもしれないが、綿矢の場合文章を通じていかようにも言葉を届けることはできる。

 一つ一つを読むと綿矢としては異色なようで(「憤死」だけはわりとなじみのある関係性で安心した)つかみにくいが、続けて読んでいくと綿矢の表現したいものはくっきりと見えてくる。小粒なようでピリリと光る、連作ではないがコンセプトは似偏ったそんな感じの短編集。本自体もさほどの厚さはなく息抜きがてらに読めてしまいそうで、後味はしっかりとビターだ。


2016/3/11

初版
2013/3(河出書房新社) 
2015/3(河出文庫) amazon(kindle) honto

 

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