ショートカット


柴崎友香にとって物理的な距離は問題ではない

 ショートカットと題された本作は4つの短編が収められていて、連作ということになっているようだがそれほど連関があるわけでもなく(まったくないわけでもないが)ごくごく普通の短編集として読んだ。「ショートカット」は最初に収められている短編だが、4編通じて距離がひとつのテーマになっているという意味では統一感がある。柴崎らしく、大阪と東京の距離、とりわけ大阪から見る東京という場所の特異さのようなものが、通底しているように思えた。だからこそ最後の「ポラロイド」では東京から大阪について考える、という逆の視点のお話になっているのは構成としては悪くない。

 連作として扱われるのは、なかちゃんという人物が続けて登場するからだろう。ただ、彼も「ショートカット」では少し目立ち気味に登場するが、他の3編では脇役というか、ほんの少し登場するだけでとりたてて重要な人物というわけではない。しかし、彼の話す大阪弁の軽やかさも相まってか、ストーリーのリズムを変えるキャラとしては重要だと言えるかもしれない。人間関係の潤滑油という言葉は大げさかもしれないが、彼がいることで何かが変わる。いなければ起きなかったことが起きうる。そうした、可能性を秘めた不思議なキャラとして、柴崎は登場させているのだろう。たとえちょい役だとしても。

 文庫版の帯には「距離を超える」という言葉に「ショートカット」という語を当てているが、これは適切なようで不完全だろうと思う。ショートカットというのは、何らかの方法で通常の距離を縮める行為であって、距離を超える行為とは(結果として超えることになったとしても)少し違う。たとえ表題作「ショートカット」では大阪から東京に行きたいと思う女の子が主人公だが、なかちゃんは彼女に「ワープできんねん」と話しかける。なかちゃんは超能力の持ち主ではないので、もちろんそんなことはできない。新幹線なりなんらかの方法を使わないと、大阪から東京には行けない。ただ、彼が繰り返しワープという言葉を使うことで、大阪と東京の距離がイメージのレベルではそう遠くないのではないかと思わせる効果がある。その意味では、「ショートカット」という言葉は、距離を超える(離れているけれど、届きそうな気がする)ことでもあるし、距離を縮める(遠いけれどそうではないような気がする)というふたつの意味合いを帯びてくるだろう。

 3つ目の「パーティー」では、大阪の海(大阪湾近く)をクルーザーでめぐる短編だが、海から眺める景色というのはもちろん地上から眺める景色とは異なる。岸から離れるほど、陸地が遠くなり、実際の距離以上にある地点とある地点の距離が近いのでは、という錯覚も覚える。あるいは、景色そのものを見え方が変わる。だから、次のようなシーンが書かれている。

 大阪港からフェリーに乗って、海から街のほうを見たことはあるけれど、今目の前に広がっている景色とは、全然違っていた。クルーザーに乗っていると、堤防も工場も道路の高架も端も、わたしたちを見下ろして大きくて、遠かった。単位の違う世界だった。
 

 クルーザーからおりたあと、「わたし」(りょうちゃん)は一緒に同乗していたるみ子と次のような会話を交わす。

「るみ子の家って、あんなに遠いところやったんや」
 わたしは、大阪湾を横断して播磨灘まで海の上を走った道程と、るみ子の家から新快速に乗って大阪まで来た道程を、同時に頭の中で辿りながらしゃべっていた。
「そうやで。わたしの気持ち分かってくれた?なにするんも遠い遠い。大阪に夜遊びに行こうとかなかなか思わんもん。今日は、りょうちゃんらが来てくれたから、出て来れてよかったかも」
 

 少し話をそらすと、最近木村紺の『神戸在住』というマンガを読んでいるのだが、 4巻で主人公がはじめて神戸(三宮)から大阪へ行く話がある。三宮から大阪は電車で20分もあれば着く距離なので、遠いわけではない。それでもわざわざ行く場所なのだから、おそらく「パーティー」のるみ子は同じ兵庫県内でももっと大阪から遠いところ(明示はされていないが、会話の節々からおそらく明石だと思われる)に住んでいるのだろう、と察することができる。それでも、「りょうちゃんら」がいるから、距離を超えて会いにいくことができる。それは日常から少しはみ出した新しい経験なのだろう。

 最後の「ポラロイド」は、大阪から東京に移住したカメラマン見習いの女の子が主人公だ。東京に来たものも、彼女には大阪に会いたい人がいる。カメラとは景色を写すものだ。景色を切り取るものだと言ってもいい。東京が新鮮に映る彼女には、新宿御苑も写真の対象になる。だが、木島さんにとっては、そうではない。「新宿御苑の中も写真撮るんですか?」と聞く。木島と「わたし」はこのあと上野から仙台に行こうとするが、突然の決行ゆえか失敗する。ただ行こうとするだけでは、遠くにはいけない。しかし、「わたし」は大阪にいる比嘉くんに会いにいこうとする。理由は「たぶん、そんなに遠くないから」だ。物理的には仙台に行く方が簡単だが、大阪のほうに行きたいと思い、行けるだろうと思う。思いが距離を縮めるという、本作を象徴する構図になっている。

 ざっくりと触れてきたが、「ショートカット」を経験した彼女たちのうち何人かは、その経験を誰かに伝えようとする。厳密に言えば、「ショートカット」という経験が背中を押すことによって、「ショートカット」したことで芽生えた思いや、以前から秘めていた思いを伝えようと決断する。作中では「ショートカット」は非日常的な行為として扱われるが、とはいえほんの少し日常とは違う体験(クルーザーに乗るとか)をするだけであり、日常を拡張しているとも言える。その行為は日常を過ごしていた街の見方を変え、自分自身の思いを変える。要は、ほんの少しの変化によって日常を拡張することができるのだ。しかし拡張した先に何もない、誰もいないのでは報われない。会いたい人、やりたいこと。最終的には思いが人を導いていく。きっと柴崎友香の書くキャラなら、思いさえあれば宇宙にだって行けそうな気がする。リアルな距離は問題ではない。

 のちに書く『その街の今は』や『わたしがいなかった街で』のような、街の歴史性はあまりとりあげられず、「いま、ここ」と「ここではないどこか」についての構図が主だが、想像力によって距離を超えていくというのは共通するものがある。まだこの時点では、時間を超えるほどの力を持っていないだけだが、時間を超えても不思議ではないのは本作を読んだらよく分かった。


2014/10/6

連作短編集

初版
2004/4(河出書房新社)
2007/3(河出文庫)

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