次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?


車中の会話に出現する物語の面白さ

 「この物語は。物語が始まる前から登場人物がずっと生きている気がする」という綿矢りさの文庫版解説を読み、柴崎友香のスタイルをうまく、かつ作家らしく言い当てていると感じた。というのは、柴崎は今も昔も小説の物語性に重きを置くという作家よりは、小説に登場するキャラクターたちの日常に焦点を当て、切り取るという書き方を続けている。その場合、物語を作るというよりは、展開されている光景を描写することに重きが置かれる。2012年の小説『わたしがいなかった街で』の以前、以後という区分が必要かも知れないが、『わたしがいなかった街で』についても柴崎が前述したようなスタイルを続けていたからこそ生み出された小説だ。この間に『その街の今は』で高評価を集めているし、『ドリーマーズ』のような珠玉の作品集は生まれている。これは柴崎が単にどこかに生きている人の日常を書いてきただけではないことの証でもあると言えるだろう。

 本作は長いが印象的なタイトルを持つ表題作と、「エブリバティ・ラブズ・サンシャイン」の二作の短編がおさめられている。2000年と2001年という、いずれも柴崎のキャリアにおいて初期に発表された小説を集めたものだが、この二作は些細な形でつながりもあるが、別々の機会に文芸誌に掲載されているから別物だと思って読んでいい。最近出た『文藝』冬号にも「きょうのできごと、十年後」という『きょうのできごと』の続編が掲載されているが、続編だと知らなくても普通に読めてしまうのは最初に綿矢が指摘しているとおりの効果なのだろうと思う。(少し、綿矢の指摘の意図とは違うが)

 表題作は東京方面へドライブする男女(男女比は3:1)の話だ。東京に行って何をするかということ(東京で何かをするということが必ずしも重要ではないことも含め)であったり、互いのこれからの生き方であったり、20代前半と思われる彼らの車中での会話が物語の中心になる。途中でサービスエリアに寄ったり、このままどこかの温泉に行こうなどという提案がなされたり、長距離ドライブにありがちな休息や成り行きに任せられる自由さなどは、この車中の4人の関係や状況を表しているとも言えると思う。

 柴崎の書く人間模様によって、彼らが彼らであるからこそこのようなドライブが可能なのだということを、読者は読みながら実感していく。それはさながら、彼らについてほとんど知らない状態で長距離ドライブをする車に乗せてもらった、ヒッチハイカーのようなものかもしれない。読者はこの車が最終的にどこへ行くのかが、本当に分からないのだ。でも、それでもいいだろうという安心感が与えられるのは、4人の生き様が違っていることも提示されるからだろう。20代前半という年代は、ある人は方向性がはっきりと定まった道を進み、ある人は自分探しに時間を費やし、ある人はどこへ進んでいいかが分からず戸惑う、といったように、それぞれ未熟な年齢であることには変わりないと思うが生き様が少しずつ違ってくるということを実感しやすい年代であるように思う。

 『きょうのできごと』でも車中の会話が印象的に書かれていたが、本作の登場人物と『きょうのできごと』の車中にいた彼ら(中沢や主人公)は年齢が近い。単に一貫してこの年代を書いたに過ぎないのかもしれないが、もう少し年齢が後ろに下がると本作の望の生き方は少し痛いものにも見えてしまう。ただ、大学院生であるコロ助の望に対するまなざしや評価は、望の生き方や彼のポテンシャルを肯定的に(そして少し嫉妬の混じった)とらえている。コロ助もまた、自分の生き方に確固たる自信がないからだ。この中で唯一会社勤めをしている恵太のまなざしは厳しいものではなく、あたたかく優しいものであることも(というより単に楽観的なのかもしれないが)車中の雰囲気の醸成に大きく寄与している。

 もっとも、重要なのは唯一の女性であるルリだ。そもそもカップルである恵太とルリのが東京へ行く途中にコロ助と望が乗り込む、という展開なのでルリからしたら車内で過ごす恵太との時間を、恵太の男友達に横取りされた気持ちになっていると言えるだろう。彼女はそうした感情もストレートに打ち明けるキャラクターで、毒を吐くほどではないが素直に正直にものを言う女の子だ。また、男3人のノリにブレーキをかける役でもある。男女比3:1というのは1人しかいない女性を置きざりがちになるが、ルリが恵太以外に対してもはっきりと主張をすることで結果的にコロ助と望にとって救いにもなりえている。楽観的に穏和に振る舞う明るい関西気質な恵太とルリが対称的であるからこそ成りたつ関係なのだ。

 かくして4人の即席的な車中での関係は東京へ到着すると終わりを告げる。関西から東京まで、長くても10時間はかからない、たったこれだけの関係ながらこれほどまでに人生を生きることの魅力を書くとはすぐれたものだ、と思う。他方で「エブリバティ・ラブズ・サンシャイン」ではあまりに眠すぎて大学の後期の授業をほとんど放棄してしまった女の子が主人公だ。年が明け、正月も過ぎたころに目覚めた彼女は、これ以上必要なく眠らないこと、そうやって自分と戦うことを日記に書いて誓う。しかし予定調和的にその戦いはあっけなく挫折する。

 本作で重要なのは日記の使い方だ。これは2000年に書かれた小説だが、いまこのような小説を書いても容易には成立しえないのではないかと思えてしまう。これほどまでにネット上に文章があふれるなか、日記をノートに書く行為を多くの人が選択しているとは思えないからだ。それはさておき、日記というのはたいていが個人的なものであって、書いた本人以外の人間が閲覧することは(ネット上の日記は全くこの限りではないし、むしろ真逆とも言えるが)想定されない。もちろん著名な人物の場合死後などに出版されることもあるが、これは例外的だろう。

 日記を書くことは自分自身を残していくことだし、日記を見ることは残してきたことを振り返ることだ。ただそれはいずれも、日記が自分自身の場合のみであり、たとえば他人の日記をたまたま閲覧しているという場合はそうではない。というよに、日記はある人物の過去を知るのには便利だ。とはいえ、そこに書かれていることの真偽を確かめるには別の方策が必要でもある。そのことに少しだけ踏み込みつつ、穏和的に物語が収束していくのが気持ちいい。

 どちらを読んでも、キャラクター一人一人が等身大に描かれていて、かつ魅力を持っているのがよい。強烈な個性を持っているキャラクターはいないが、柴崎ははっきりと書き分けをすることと、相互の関係性を会話によって少しずつ定義していくことで、読者が入り込みやすくなっていると言えるだろう。次作『青空感傷ツアー』では人間関係の面白さに乗っかれないで読み終わってしまったが、本書の読後感は非常によいものだった。


2014/10/6

短編集

初版
2001/2(河出書房新社)
2006/3(河出文庫)

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