きょうのできごと


瑞々しい「いま」を軽やかな文体で書き出す魅力 

 今をときめくかどうかは分からないが、ここしばらく集中的に読んでいる柴崎友香のデビュー作である。デビュー作には作家の多くのものがつまっているなどと言われることもあるが、確かに彼女らしさはふんだんに出ている。このときからいまのままで柴崎友香は柴崎友香だったのだと、読みながら安心する感覚も覚えた。とはいえ、内容に一つ一つ踏み込んでいくとまた少し違った観点からとらえられそうな小説でもある。

 連作短編集の形式をとっていて、新年度が近づく3月の終わりのある日、大学生や大学院生たちが中沢の大学院進学祝いをかねた飲み会をする、その前後や最中を、飲み会の参加者それぞれの視点で書くというもの。「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」と「オオワニカワアカガメ」のように視点を変えて同時並行的に起こっていることもあれば、「ハニー・フラッシュ」や「十年後の動物園」のように飲み会が始まるまでの日常を書いたものもあって、総じて「きょうのできごと」というタイトルを当てはめているのだろうと思う。

 柴崎友香にとって重要なのは日常で、その日常をどこで過ごすか、誰が過ごすかが小説によって様々書かれている。どこで過ごすかという点で言うと、もうすでに説明してはいるが飲み会という一つの空間(この場合誰かの部屋)だったり、飲み会後に女子たちを送っていく車の中であったり、久しぶりに訪れた動物園であったりする。重要なのは一つの生活圏から大きく離れすぎていないこと。柴崎らしく大阪のどこかが舞台になっているが、中沢は京都の大学院に進学するらしいことが次の会話で分かる。(正道とは中沢のことである)

「でもいいなあ、正道くん。大学院受かって。わたしも京都で学生生活してみたいなあ」
「そうやなあ。京都ってなんか知的な響きやしな」
「毎日今日みたいに飲み会できそうやし」
「飲むことばっかり考えてるよな、けいとは。さっきも飛ばし過ぎやって。かわちもひいとったで」

 とまあ、こういう風に柴崎らしい関西弁のゆるやかな会話がどんどん展開されていくわけだが、大阪の人から見た京都がいくらかあこがれの対象になっていることが伝わってくる。京都と大阪は電車に乗っていれば自ずと到着するくらいの距離ではあるが、文化圏は異なる。ともに関西ではあるが、大阪は大阪であって、京都ではない。少し余談だが、最近読んでいる木村紺の『神戸在住』も似たようなアプローチをしていて、この作品では神戸が舞台になるので大阪や、あるいは姫路のような場所は少し遠くてわざわざ行くような場所として書かれる。

 何を言いたいかというと、一つの舞台を設定していることで登場人物たちがどのような生活をしているのかが感覚的に伝わってくる。彼ら彼女らは、地図上のあのあたりの場所までは足を運ぶだろうけど、それより遠くへ行くことは日常的にはないだろうといった、地理学的(柴崎の大学時代の専攻でもある)なイメージを読者は抱くことが可能だ。もっとも、大阪やその周辺についての地理がある程度頭に入っておかないと、なかなかこの感覚は伝わりにくいとは思うが。

 柴崎友香はそうやって地図上を移動するキャラクターたちを書くことで、「いま」を描写する作家だと言える。でも、「いま」を生きている彼ら彼女らには、もちろん過去がある。「オオワニカワアカガメ」や「途中で」では、過去が登場する。回想として、あるいは再会することによって。「いま」の時点で特別なことが起きるわけではないのと同じように、過去においてもそうなのだが、だからこそふと思い出して、ふと懐かしく思う。そうやって多くの人は、日々を生きている。それぞれの「きょうのできごと」という日常生活を刻みながら、なにもないかもしれないけれど満たされた日々を、あるいは満たされようとする日々を生きている。そして、まだ至ってない未来への不安も、大きすぎるわけではないが確実にある。

 文庫版でボーナストラック的に収められている(A面、B面という書き方の区分はいくらかそうした音楽的なことを意識したのだろう)「きょうのできごとのつづきのできごと」は文字通り後日談だ。そしてその後日談では、フィクションと現実が入り交じる。そうか、こういうふうに虚構と現実の両面から同じ(地理上の)場所に足を踏み入れ、コミュニケーションすることも小説には可能なのだと感じた。


2014/10/6

連作短編集

初版
2000/1(河出書房新社)
2004/3(河出文庫)

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