どこから行っても遠い町


 川上弘美を読むのはまだこれで2冊目だが、川上弘美の持つセンシティブさやナイーヴさが(矛盾するようだが)非常に丁寧な形で表れている印象を強く持った。文庫本で30ページ前後の短編が11本入っているが、連作として意識して読むよりは、読んでいたらつながっていたと言ったほうがおそらく適切で、切れているはずなのにつながってしまっている人と人との関係であるとか、人と場所の関係性を11本通じて書こうとしているのが本作だと思う。

 世田谷の小さな町にあるとされる魚屋が舞台・・・と思いきや「舞台」というわけではなかったのでこの前読んだ『古道具 中野商店』とは似ているようでいくらか違う。どっちかというと、人間模様のすれ違いを書いたような作品で、全部読めばすっきりするようになっているというか、最後は魚屋のあった場所にきれいに戻っていく。まとめ方がきれいすぎるような気はするけれど、それぞれの短編(独立しているのかつながっているのかが曖昧で、たぶんそこが良いのだと思う)は人生の一端をとにかく切り取ることを目指して書かれている。

 『古道具 中野書店』のレビューで「終わりのある日常」という表現を使ったが、本作にも多分に当てはまるねらいだと思う。それぞれの短編の主人公はそれぞれ別の人間だが、高校生から中高年まで幅広く、その分人生におけるライフイベントの経験値も、現在立っている地点も異なる。人生は別に一本道というわけではないが、進学や就職、結婚や出産、あるいは離婚や死別と言った、人によってタイミングは微妙に異なるものも経験してしまうこれらのイベントは、人の生き方に小さくはない影響を与える。こんなことは改まって書くことではない気がするのだが、逆に、そのあえて書くには値しないようなありふれたわたしたちの人生を、川上弘美が11本かけて切り取っている。

 ざっくりとまとめるとこんな感じだが、まとめだけ書いてもつまらないので11本もある小説の感想をいくらか。「小屋のある屋上」と「午前六時のバケツ」の二編は分かりやすく一続きで、前者が予備校につとめる講師の話で、後者が予備校に通う男子高校生の話。互いの距離や関係性の見えやすさと、それとセットになるような分かりづらさは人をもやもやさせるには十分すぎる。「午前六時のバケツ」にある、「唐木先生と、久保田先生がセックスしているところを、想像してみようとした。(中略)簡単に想像できるかと思ったけれど、だめだった」という二文には、分からないものを想像してみようとする心の動きとその困難さがあっさりと表現されている。唐木先生は「小屋のある屋上」の主人公だが、自分が次の短編では見られる対象になっているのも、単純な構造ではあるけど読者に好奇心を与える。

 読んでいて好みだったのは「四度目の浪花節」と、続く「急降下するエレベーター」の二編。前者は同じ店で働くうちに15歳年上の女性を好きになってしまった男の話。この二人の関係性をおっぱいの堅さとやわらかさで表現するくだりがなかなか絶妙(そしてここには魚屋の主人である平蔵が絡んでくる)。性的なものや性的な関係をどちらかというとナチュラルなものとして、ごくごくありふれた人間関係における一要素として書こうとする意思を個人的には川上弘美に感じているが、この短編では「おっぱい」という単語がお話の途中から急激な頻度で使われている。男のイメージし、欲望する女性性の一部であり、かつ女性にとっては加齢やメンタルの影響が表れてしまいかねない場所であり、センシティブな場所だ。女性は自身の性的な場所を使って男を支配することもできる。そのことが、後半に布団をはいで見せつけるシーンの面白さでもあり、自分の気持ちをきれいに表現できない年上女の央子の微妙(で繊細)な立場を象徴している。

 「急降下するエレベーター」は自身の生き方に自覚的すぎる佐羽という女の子が、自覚的に生きているはずの人生にほころびが生まれるまでのお話と言ったところで、具体的にどのような変化があったのかは主人公目線では書かれない。ここも、主人公からすると分からない部分をいかに想像するか、という話になっていくわけだけど、寄り添うように想像することで、佐羽に接近しようとしながら、主人公は確実に「わたし」の人生を生きるのは川上弘美の書く女性の強さなのかもしれない。強さをしたたかさと言い換えるなら、「四度目の浪花節」において俺に対して央子さんが向ける目線や言葉の数々はまさにそうだ。ストレートではなく、婉曲だとしても。

 いろいろな生き方があるよね、っていう気楽な部分と、他方でこういう風にしか生きられないという息苦しさが全体を通じて共存している。何かあったときに魚屋の平蔵がひょっこり表れてくるところは「遠い町」ではあるけれども東京のどこかで地に足着けて生きる人間のリアルさなのかもしれない。同時に、そのリアルな人間をあたたかい目線で見守りながら、弱い部分と強い部分を書き分ける川上弘美の優しさを、11本すべて読み終えたあとに改めて強く感じる


2016/3/10

連作短編集

初版
2008/11(新潮社)
2011/9(新潮文庫)

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