古道具 中野商店


 川上弘美は名前だけは有名なので知っているがあまりちゃんと読んだことのない作家の一人で、そういう作家は何かしらの機会がないとすっと手を伸ばすことはない。今回手に取ったのはたまたま親しい人がネットでこの本を薦めていたという程度の理由で、内容に関してはほぼ無知の状態で手に取った。素敵な本だった、っと今度この本を薦めていた知人に伝えたいなと思っている。

 東京の中野にある商店ではなく、中野さんが経営する商店だからそのまま名付けられているという「中野商店」をめぐるお話。文庫で一つあたりのお話が30ページほどと短く、読んでいたら本当にすぐに読み終わってしまうのだが、物と人をめぐるかくもおかしく面白い関係性を、短い中でぎゅっと凝縮させているのが非常に印象的だった。一つ一つ、あるいは一人一人に強く思い入れが残るわけではないのに、不思議と愛おしいような手触りを残してくれる。あえて書き込みすぎないのが、魅力の一つだろう。でも書き込みすぎないからこそ短く収まっているし、その分たくさんのエピソードを読むことができる。

 古道具を売るだけで食っていけるのかどうかはさておき(ただ作中にあるようにネットを使えばなんとかなる気がした。古本屋もネットで売る時代だし)中野商店という舞台から大きく外れることはなく、ここに勤める人々(主人公のヒトミや、商店主の中野たち)と訪れる人々の顛末を日常的に書いただけ、とも言える。ただ、その日常に入り込む非日常性(訪問者たちのエピソードや、人間関係のあれこれ)を、ミステリーとしての謎というほどにいく手前ほどの謎に仕立て上げ、スパイスとしている。そのスパイスが少しあとのエピソードで効いてきたりするのが連作ものの魅力だが、そこまでの大きな仕掛けはない。あるとすれば、主人公ヒトミとタケオの関係性が遅々としつつも少しずつ変化していくことと、中野さんの中で心境の変化が起こること、だろうか。

 短いお話が続いていくうちに、意外と時間が経っていることや内的な人間関係が接近したり乖離したりしていることが分かってくるのだが、川上は驚くほどあっさりと(だがはっきりと)記述して時計を前に進めようとする。ある意味では残酷だし、ある意味では日常というのはいつか過ぎ去っていく日々の積み重ねでしかないというリアリズムの表れでもある。「終わらない日常」ではなく、確実に「終わりのある日常」が中野商店という小さな舞台で進行していると知ったとき、この小説のことが一気に好きになった。

 「終わりのある日常」はもちろんヒトミとタケオにも当てはまる。中野さんがいて、お店があって、という前提条件は中野さんの気まぐれもあってか非常に不安定なものでもある。たぶん、この物語を「終わらない日常」として書くこともきっとできたのだろうが、舞台そのものが主役ではなくヒトミという一人の20代の女性を正面に置き、彼女の生活の場として中野商店という小さな場所をあてがったことがこの小説の狙いの一つなのだろうと思う。ヒトミがお客さんや他の従業員といった人たちと出会う場として、彼女がその後に向けて何かをつかむための場として。という点では、一人称の書き方をしていないが私小説としても読めるかもしれない。成長、という言葉をあえて意識することはほとんどなかったけれども。

 最後の時間的、空間的飛躍はもはや中野商店にはいないヒトミを書きたかったからだろう。少し唐突だが、ちょっとしたハプニングも含めたお約束のような展開にはにやっとさせられる。場所は変わっても、「中野商店」という場所の空気は、まだ少し残っているように感じた。


2016/3/10

連作短編集

初版
2005/4(新潮社)
2008/3(新潮文庫)

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