頬よせてホノルル


 ハワイを舞台にしたこのシリーズを読むのは『波乗りの島』に続き二冊目(シリーズとしては三作目)。順番に読まなかった理由は、『波乗りの島』は青空文庫で読んだけど本作は紙の本(新潮文庫版)で読んだからというだけの理。「ぼく」がハワイで過ごすゆたかで爽やかな日々を書いた、青春小説としても読める『波乗りの島』とは違い、本作は続き物にはなっているようだが「僕」以外に共通するキャラクターは出てこない。

 それと、『波乗りの島』よりもハワイと日本の関係を(「僕」はもちろんハワイにいながら)書いているのがポイント。日本から来たるヒロインや、日本での「僕」の家系の記憶など、ハワイが舞台であるということをリアルに感じさせた『波乗りの島』と違って、日本の入り込む隙間が非常に多い。

 五編入っていて、最初の三編(「ラハイナの赤い薔薇」、「冬の貿易風」、「アロハ・シャツは嘆いた」)はかなり短いお話で、いくつかのシーンが書かれているにすぎない。後半の「双眼鏡の彼方に」、「ヒロ発11時58分」では小さな物語がいくつか折り重なっており、いくらか厚みを増す。

 「ラハイナの赤い薔薇」では部屋で会話する僕と「素敵」で「美しい」彼女がクリスマスとプレゼントの会話をする。クリスマスの由来が話題にのぼるあたりが三つ目の「アロハ・シャツは嘆いた」でアロハ・シャツの歴史的考察が挿入されるのとよく似ている。片岡義男の書く「ぼく」は村上春樹のキャラクターのように饒舌ではあるが、春樹と少し違うように思うのは饒舌な「ぼく」の会話の相手方の返しがうまいところかもしれない。饒舌な話が自然に続いていくし、変に後腐れることもない。もっとも、この短い短編で一番面白いと思ったのは朝起きて飲むコーヒーに関する「ぼく」の語りだったりもするが。

 「冬の貿易風」についている貿易風という言葉の意味が語られて、そして意味を持つのは実は次の「アロハ・シャツは嘆いた」なのだが、「ぼく」こと昭彦と三津子との10年越しの再開を書いたこの短編は、三津子の意志の強さが印象に残った。「私はかならずアメリカに行く」から始まり、「人とちがっていたいの」と語る三津子は、近代からポストモダンへと映りつつある時代を象徴しているのかもしれない。やや適当だけど。

 「アロハ・シャツは嘆いた」の嘆いたの意味が読み終えてもはっきりとつかめなかったが、この短編によると「アロハ」とは非常に便利で重要な言葉らしい。その「アロハ」を着て歩くことを考案したのが日本人だというのは面白いが、きっと現地の人からするとそのファッションはまた違う意味を持つのだろう。

 いままでの短編からするとやや長めの「双眼鏡の彼方に」と「ヒロ発11時58分」は家族をめぐる小さな物語だ。そこには確かな歴史がある。「ぼく」が佳子にプロポーズを申し込もうかどうかを思案していく「双眼鏡の彼方に」と、「ヒロ発11時58分」で小さな店に昔から貼られてあるメニュー表ではそれぞれ家族という存在の未来と過去を暗示させる。もっとも、「ぼく」と佳子の関係はプロポーズをするほどには深まっていないからどうなるか分からない。でもそのあとに双眼鏡を使って「何が見える?」から始まる会話のシーンのほうが、よほどプロポーズの言葉よりロマンチックに思える。

 アメリカというのは三津子のあこがれの場所だったが、ハワイというのは彼女にとってどういう場所だったんだろうか。ぼくが語るハワイのロマンと、ヒロインが語るハワイの魅力との違いを、再読する際にもう少し読みこむのもありかもしれない。


2014/12/15

短編集

  1. ラハイナの赤い薔薇
  2. 冬の貿易風
  3. アロハ・シャツは嘆いた
  4. 双眼鏡の彼方に
  5. ヒロ発11時58分

初版
1988/12(新潮社)
1990/8(新潮文庫) amazon

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