波乗りの島


 片岡義男がハワイを舞台に書いた四部作の一作目。片岡義男の小説はこのハワイ四部作と、90年代以降に出たいくつかの作品が青空文庫で掲載されており、本作の場合は青空文庫経由で電子書籍化されたものをで読むことができた。青空文庫は基本的に横書きで、プレーンのテキストだから読みづらいわけではないのだが、縦書きでページに分かれているほうが読書にはなじみやすい、ということを改めて感じたりもした。

 今まで読んだことのある片岡義男作品はそう多くないが、いずれも日本を舞台にしたものだった。初めてハワイを舞台にした作品を読んだ感想は、まず描写が瑞々しいという点だろう。詳しくは青空文庫ですぐにでも読んでくれるとよく分かるが、たとえば「かつては洗濯部屋だったところが、スライドや16ミリ・フィルムの映写室になっていて、いま僕たち四人はその部屋のなかにいる」という一文から最初の短編「白い波の荒野へ」は始まる。16ミリの映写室、僕たち四人という言葉にもうすっかり片岡らしさは宿っている。もちろんこれだけでは舞台がどこなのかはすぐに分からない(これも狙いの一つかもしれないが、そこまででもないかもしれない)。

 ちなみに、僕たち四人とは僕(一人称なので名前はほとんど言及されない。後半の短編でバリー、と呼ばれていたような気はする)と、リーダー格のラリー・デイヴィス、紅一点で女子大生と最も若いジェニファー、比較的新入りでまだ不詳のところのおおいエマニュエルの4人だ。この4人はサーフィンの映画を作ることを中心に、様々なことを企てている。ほとんどの場合にといて実際に映画を撮るシーンやエピソードは出てこないが、重要なところでこの4人がサーフィンの映画をとっている、というのが生きてくる形になるのは面白かった。それはつまり、ハワイとサーファー、あるいはサーフィン文化との関係性がいかに重要であるかを読者が確認する段取りにもつながる。もちろん単なる事実というよりは、物語化されたお話として。

 ハワイと片岡をつなぐそもそものものは、片岡の祖父に流れている血だということらしい。そのせいもあってか、頻繁に日本との関係性を意味する人、出来事が書かれたり、あるいは実際に日本からの旅行者が訪れたりする。土着として馴染みつつ、愛されている彼らに対して、日本とは直接関係ない僕の目線は好奇なものでもあり、あたたかいものでもある。ハワイがハワイであるのは、流入した様々な民族によって作られた島でもあるからなのどあろう。

 たとえば「白い波の荒野へ」では、僕が「ようけ働かんと食えんがの」という言葉をおじいさんから聞いて覚えている(だが意味は分からない)というエピソードが短く収まっているのだが、なぜこの言葉をおじいさんが語ったかを考えると時間の流れを(日本語の分かる読者は)感じる。しかし僕にはそれは分からないし、僕の会話相手にも分からない。響きだけが、あるとき思い出される。言葉は意味を持たなくても、不思議と残っていく。

 ハワイらしいところでは、突然火山の爆発に巻き込まれてしまう「アロハ・オエ」がリアルだ。火山の噴火にもし本当に巻き込まれてしまうと生死の問題に関わるが、片岡はそのようには書かず、火山が来て、すべてを持ち去ってしまう、その自然の摂理だけをいつもの文体で淡々と描写する。驚く日本からの来訪者の反応が自然かと思ってしまうが、ハワイにおいては必ずしもそうではないのかもしれない。鹿児島の桜島、とはまた訳が違いそうだけれど。

 楽しく愉快な日々には、時として悲しいことも当然起きることを最後の短編「ベイル・アウト」でしみじみと感じつつ、静かに本作は幕を閉じる。正確にはシリーズとして続くということなのだろうけれど、この本は最初(1979年)に出たあとも何度も別の出版社から何度か出版され、1998年に双葉文庫から改訂版が出た。その長い経緯を短くつづった著者のあとがきも含めて、本作一冊を堪能できるようになっていると思う。


2014/12/15

短編集

  1. 白い波の荒野へ
  2. アロハ・オエ
  3. アイランド・スタイル
  4. シュガー・トレイン
  5. ベイル・アウト

初版
1979/3(角川書店)
1980/12(角川文庫) amazon
1998/10(双葉文庫)
 amazon 

※1 角川版の副題は「ブルー・パシフィック・ストーリーズ」
※2 98年の双葉文庫版には「改訂文庫版のためのあとがき」を収録。青空文庫版の底本となった。

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