ハーモニー


 前回の『乳と卵』につづいてまた大学の話になるのだが、本作文庫版の解説を書いている批評家の佐々木敦が早稲田の非常勤講師であることを後期の科目登録の際に知り、週一回彼の講義を受けている(あくまでモグリではない)。講義は彼の専門分野である音楽について(エレクトロニカや、ジャンル分けできないかなりマイナーな音楽をひたすら流す)なんだが、本作が文庫化された週の講義の冒頭で本作を学生に紹介するという一幕があった。5,6分くらいのお話で、大体のことは解説を読めば書いているのだが、入院先でのインタビューであったり、伊藤と円城塔との関係であったりについて10分近く喋っていた。前作『虐殺器官』も読んでいたので本作も読むつもりだったが、彼の話を聞きいてがぜん読まねば、と思い大学生協に急いだのが12月上旬のある日である。

 あらすじは次の通り。ミァハ、キァン、トァンという3人の少女が直面する、ほんの少し未来のお話。小説の中で明文されているわけではないが、『虐殺器官』後の世界を描いていて、前作で兆候のあった”虐殺”が全世界で巻き起こり急速な人口減少に直面した世界は、健康をテーゼとした社会を構築しはじめた。政府は生府として置き換えられ、人の身体は公共的身体として扱われる。そして何よりの違いは「Watch Me」という医療機械が一定年齢を過ぎた人間に埋め込まれるようになったことである。Watch Meは体の中で起こるあらゆる病気の前兆を察知し、それを治療することで人間から病気をほぼ完全に遠ざけることに成功したのだが、いっぽうで体は四六時中機械によって監視され、病気や体調不良による痛みを伴わないというまま不可思議な日常生活を送ることが可能になった。この世界で自殺を試みようとしたミァハ、と見守る友人たち。ミァハが願いを叶えてしばらく経った世界で、ある変調が起きようとしていた・・・。

 本作はSFの体裁をとってはいるが、前作がそうであったようにSFというよりはリアルフィクションといったほうがふさわしいだろう。今の世界を前提に拡張した形で成立しているので(前作はポスト911という今日的なテーマを扱っていた)特にハードSF特有の宇宙的世界観のようなものは存在しない。ただ、Wathc Meという近未来的な技術を持ち込んだことでSFらしさというものは保っているが、むしろScienceFactといったほうが現実的なのではないだろうかと思う。本を読むと分かるのだが、Watch Meの技術にしろ、書かれている世界にしろ、現実から極端に乖離しているとはとても思えないからだ。

 特に、Wathc Meが導入された経緯と結果として生まれた世界の対照は寒気がする思いである。描写として強烈な描写があるわけではないのだが(それがまた寒気にもつながるわけだが)ミァハの持つ違和感が、そのまま読者の持つ感覚に繋がるのではないか。つまり、Watch Meや生府の存在がデファクトになっている世界の常識など、私たちには分かるはずもないのである。ただ、それに似た感覚、間接的にではあるが管理され、皆が空気を読むことで過ごす日常、平和を装うだけの光景はいつかどこかで見たような、ものでもあるのである。こうした違和感と既視感の絶妙なバランスが通底していることが、何より本作の不気味さであり醍醐味である。

 ストーリーは生き残った少女、トァンの目線で語られる。監察官として世界の前線へ赴く日々で、世界の異変とミァハの残像を感じ取る。とはいっても世界の隅々で起こっていることが具体的に語られているわけではなく、世界がどのような状況であるかは常にトァンの目線で語られる。(このあたりは前作のスタイルに近い。また、一人称をとっている理由については文庫版解説に詳しい)概要だけを見ると大きな事を扱っているように思えるのだが、あくまでトァンとミァハの物語に軸を置いて書いていることが非常に好感を受ける。

 つまり、設定だけで十分大風呂敷なので、世界全体のことについて叙述するにはあまりにも量が膨大になってしまう。そういったことを避け、生き残ったトァンと死んでしまったミァハのふたりの物語に収斂させることによって、描写がより等身大になり、リアリティを増しているようにも思えた。客観的な記述だけが続いても、おそらくここまで引き込まれなかっただろうと思う。ミァハの存在感が際立っているせいかもしれないが。

 本作の文庫版解説で作者が「『ハーモニー』でいまのところは限界」と語っているのが気になる。ここからはネタバレにはなるが、ユートピアを志向した世界が結果としてディストピア(反ユートピア)の傾向を持っていることを悟ったミァハが、その彼女自身の結論もまたディストピアにすぎなかったからではないだろうか。ミァハが直面していた現実をさらに極限まで拡張すること、それが結論になりえてしまったなら、そうではなかった世界、つまりもう一度本当のユートピアに揺り戻すという選択肢はそもそも存在しなかったということになる。

 ミァハは「人類はもう、戻ることの出来ない一線を越えてしまっていたんだよ」と話し、「この世界を全力で愛してる」と語る。ただひとつ、「本物のハーモニー」の到来、つまり「人類のハーモニクス」という彼女にとっての究極的な目的を果たすことのできる土台は、既に存在していたのだから。あくまで自分の解釈ではあるが、ディストピア志向をいったん否定したミァハ自身が強烈なディストピア志向を持っていたこと、その方向で筆を書き進めた作者自身が「限界」であると感じるのは自然なことだろう。

 さて、冒頭で紹介された日に本作を買いに走った俺は翌週に佐々木さんに感想をぶつけてみた。1分程度しか話ができなかったが、「書く度に進化している」という言葉には同感せざるをえないし、「死んでしまったのが残念」ということもその言葉に尽きる思いだ。ただ、作者自身が極限の状況にあったからこそ上梓されたとも言うことも的外れではないだろう、おそらく。彼の遺した文章をかみしめる思いで、静かに本作を閉じた。


2011/2/5

長編

初版
2008/12(早川書房)
2010/12(ハヤカワ文庫JA)

(2009年)第30回SF大賞、第40回星雲賞日本長編部門

cf.ニコニコ生放送音声ログ(2010/12/25、mp3、53.9Mbyte)

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