追想五断章


 この本の内容とは直接関係ない余談から始めると、新刊で出ていたので買いはしたものもしばらく積まれたまま、というのは多読の人にとっては珍しくないだろう。古本屋で買った本だとか図書館で借りた本だとか、競合する相手はけっこう多い。いくつか並行読みはするが小説だけを複数読むことはほとんどしない。内容が頭のなかでごちゃごちゃになってしまうから。そんな状況下にあった本書を読むことになったのは、遠路の高速バスで4時間以上拘束されるということになったから。それなら一冊くらい余裕で読めるだろう、と本書を提げて旅に出る。

 内容をあまり確認せずに持っていったので偶然だが本作のなかにでてくる5つの断章、リドルストーリー(結末のない物語)はいずれもどこか遠くの地を舞台にした掌編だ。その掌編の数々を、金銭的な事情で大学を休学し、古書店に居候することになった菅生芳光が探し出していく。依頼主は長野から来た女性。死んだ父親が書いた5つのリドルストーリーを探してほしいと依頼する。本来は古書店の主であり、芳光の伯父である広一郎への依頼であったはずだが前に書いた金銭的な事情により芳光が単独で引き受けることになる。広一郎の目を盗みながら、かつバイトとして古書店で働いている女子大生、笙子の助けを借りながら、少しずつ集めていくことになるのだが・・・

 はじめに明確に示しているように、本作における第一の謎はリドルストーリーの結末である。そして、それらが書かれた意図であろう。どうして死んだ父はこれらの作品を残したのか。しかも別々の場所に寄稿するという、連続した作品としては読まれない形で残したのはなぜか。そうした謎が何よりの主役であり、芳光はその謎に従事する人間でしかない。これは芳光のやや冷めた態度(古典部の折木奉太郎がもう少し歳を重ねるとこうなるのかもしれない、が)とそれでいて謎に惹かれてしまう部分とのかみ合いがあって、初めて最後まで貫徹した態度であるとは言える。

 米澤穂信が古典部シリーズにしても、『犬はどこだ』にしても、目の前の謎を追ううちにいつのまにか深みにはまってしまう、ということが珍しくはない。本作でも小説を探索しているうちに、ある実際に起きた事件に行き着く。今までだったらここからさらに深みにはまっていくところだったのかもしれないが、本作ではあくまでリドルストーリーの謎が主役であるという態度はここでも一貫している。つまり、小説の謎を探るうちにリアルな事件にたどりつきながらも、あくまでリアルな事件と小説の相関が重要になってくるのである。

 こうして書くとやや『氷菓』の結末に似ているかもしれない。『氷菓』も、そもそもの謎はなぜ「氷菓」というネーミングであり、なぜ千反田えるの叔父の作った「氷菓」に涙したのか、であった。本作における女性の父親も、えるの叔父も(失踪扱いではあるが)何かを遺してこの世を去った、という体裁もよく似ている。そしてリアルな事件と創作物がどのような相関にあったかが、謎を解く大きな鍵になっている、という点もだ。もっと言えば、もっとも重要なのはなぜというよりは、どのような思いを抱えて創作に至ったか、という点でもある。この点も本作は『氷菓』を継承しているとも言えるし、『氷菓』を越えようとしたとも言える。

 なぜ『氷菓』を越える必要があったかは、『氷菓』を読んだ読者なら想像に難くないだろうと思う。あのオチが必要だったのか。いや、それはそれでよいのではないか、と思わせてしまう『氷菓』の終わり方には、苦みや悲しみよりもおかしみの色が強かった。もちろん『氷菓』ではあえてそうすることでメッセージを残したわけだが、本作ではもっと切実に、かつもっと生々しいメッセージを刻むことに成功していると言えるだろう。それはおそらく、親子という血の物語がなせる業だ。

 リドルストーリーというミステリーの古き伝統を継承しながら、同時に自身の過去の作品をも越えていく。どれだけ『氷菓』を意識しながら本作を書いたのかは分からないが、上にあげた3つほどの類似点を考えると、読んでいて意識せざるをえなかった。まあ、そのことの真偽は置いておいても、大学を休学中という主人公の設定がなかなかに妙な点も含め、より大人に向けた大人の物語を書きたかったのではないか、ということを感じた。

 冒頭にも書いた経緯があったくらい、少し米澤穂信からは離れていたのだが、古典部シリーズのアニメ化を機に再読したりと最近になって集中的に触れる機会が増えている。この勢いで、文庫化されているが唯一読んでない『儚い羊たちの祝宴』も読んでしまおうかな。


2012/9/10

長編

初版発行
2009/8(集英社)
2012/4(集英社文庫)

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