太陽の坐る場所


 違和感、という言葉は非常に便利だとおもう。いつもとなんか違う、あれおかしいな、この人ってこういう人だったっけ、なんかよく分からない雰囲気・・・そうした多種多様な主観的な戸惑いを、たった三文字の言葉に内包させることができるからだ。とはいえ、実際は多種多様でかつ主観的であるがゆえに、発した当人にとっては便利であるがうまく周りや他者に共有されるかどうかは難しい。当人は当人で、理由を問われたときにうまく言語化することも難しいかもしれない。

 だからこそ、そうした抽象的で名状しがたいものごとを記述、描写するというのも小説家のひとつの役割なんだろうな、と本作を読んでいて改めて感じた。『名前探しの放課後』や『冷たい校舎の時は止まる』における高校生の不安定な感情だとか、『凍りのくじら』における理帆子の少しゆがんだ感情だとか、作家としてデビューしてから一貫して感情の不透明さを描いてきている作家、といってもいいだろう。そして本作ではそこからさらに一歩踏み出している。

 2つの点において、である。1つは登場人物の年齢設定が、初めて学生もしくはこどもではないということ。それぞれが仕事を持ち、場合によっては家庭も持っているという、比較的地に足着いた生活を送っている者なのである。そしてもうひとつ、抽象的で不均衡な感情そのものがミステリーの鍵になっていることだ。「人の心はミステリー」とはよく言ったもので、たとえばある人に対しての印象でも人によって様々だ。あるグループがあるとしたらその内と外で大分異なるし、密な関係になる内の中でも異なってくるだろう。学校の教室、というのはその好例であろうし、確かにミステリーの題材としては適している。

 本作を読み解く鍵となっているのは、まず「太陽」とは誰なのかということだ。そしてもうひとつ、何故太陽だったのか、というところだろう。読み進めていくと登場人物の高校時代の各々のエピソードが挟まれていくのだが、それぞれが見ている世界は全く異なる。いい人だと思っていた人が次の章ではかなり悪く書かれているし、その逆もまた然り。自分語りと他人目線のギャップなどベタなほうで、そのズレが加速させるもの、をページをめくって追いかけるのが妥当な読み方かな、と思う。

 話は少しそれるが、この前「星を追う子ども」という映画を見た。過去と向き合いながら今を生きる中で、何が見つかるのか、そしてその見つけたものを自分の人生にどう生かしていけばいいのか、というようなことがテーマになっていた。過去は往々にしてブラックボックスになりがちだ。時間が止まってしまっているというだけでなく、眼差しも同時に止まっている。過去が今に繋がっているはずなのに、目を向けようとしない、という例は枚挙にいとまがない。映画ではそこを出発点としながら、「見つける」あるいは「気づく」というところにゴールが置かれていた。

 ただ、スタートとゴールが分かりやすいがゆえに、プロセスをあぶり出すことが見ているものを惹きつけるために求められる。本作に置き換えてみると、ゴール自体もブラックボックスである。章ごとに登場人物が変わっていくのだが、正直こいつは一体本心では何を考えているんだ?という思いを抱えて読み進めていく(特に水上由希の章が意味不明だった)ことを強いられる。同級生という、ある集団における複雑に入れ組んだ人間関係を描いているのが「星を追う子ども」との大きな違いだろう。それでいてかつ、『冷たい校舎』や『名前探し』のように群像劇を描くわけでもない。(小説のスタイルとしてはそうした形をとってはいるが)ブラックボックスに手を伸ばすということは、痛みと向き合うことに他ならないからだ。
 
 最初挙げた違和感、という言葉に戻るならば、確かに違和感を描写、記述しようという辻村深月の意志は感じられる。ただ、それはどこまでいっても違和感だ。細かなエピソードや出来事も、完全には描き出さない。ヒントだけが増えていき、さらに頭は交錯する。ゴールはいったいどこにあるのだろうか。違和感をほどく答えはあるのだろうか。

 一つ言えるならば、答えは自分で見いだすしかないということだろう。ブラックボックスをのぞき込んで見つけたもの、手に入れた応えを元に、今の自分を振り返る。気づかないで今にしがみつくか、気づいてから一歩踏み出すのか。どちらが幸福かどうかは、歩んだ先に待っている未来に任せるしかないけれど。

 変わってしまった景色、というのは年月の経過が示す自然な結末かもしれないなあ、とエピローグを読んでいて思った。そうなのだ、という現状を受け止めてから向き合うということが、変えられない過去を振り返りつつこれからの未来に提示できる選択なのだろう。だから宮下奈都が解説で書いているように、「辻村深月はいつも今読むのが一番いい」に同感かな。宮下とは少し違う文脈で、だけれど。いつ読んだとしても、今は常に異なる今であり続けるからね。


2011/7/4

長編

初版
2008/12(文藝春秋)
2011/6(文春文庫) 

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