わたしがいなかった街で


 いつだったかは忘れたが少し前の朝日新聞を読んでいて、この話と青木淳吾の『私のいない高校』が三島賞をあらそったと聞いて気になって読んでみた。ちょうど本作の収録されている新潮が手元にあったので(買ったときは震災特集目当てで買った)スルーしてたが、柴崎友香という作家は素朴に気になっていたのでこの機会に長いのを読んでみようと思い、読み進めた。

 『また会う日まで』という、本作と人間関係の構造が似ていなくもない本は読んでいたのだが、そのときはあんまりしっくりこなかった。ただ、本作はなかなか思ったより骨太。もう一押しふた押しあればという感じはするが(こういう終わらせ方だと少ししぼんだようにも思えるし)良作にはなっていると思う。

 30代、万年契約社員状態の平井砂羽の趣味は録りためたドキュメンタリーを見ること。それも戦争や戦場のドキュメンタリーを特によく見ている。アフガン、イラク、ベトナム・・・いつかあった歴史的な景色がテレビの中で繰り広げられる。なぜ好んでみているのかは分からないがHDDがうまってしまうくらいには彼女は好きらしい。だが実際起きた出来事を知るのはあくまで画面を通してであるし、当然時間差がある。たったいま世界で起きていることをいま知ることはできない。ある日彼女は気づく。

 まだやっている。ここだけでなく、そこでも、あそこでも。まだやっている。ずっと、やっている。そんなものだ、と。
 どんな大きな事件も悲惨な戦争も、最初の衝撃は薄れ、慣れて、忘れられていく。また事件や戦争が起こったら、忘れていたことを忘れて、こんなことは経験したことがない衝撃だ、世界は変わってしまったと騒ぐけれど、いつのまにか戻っている。戻ったみたいに、なっている。


 いきなり引用を挟んだが、ひとつの着目点は彼女が見ているものについてになる。見ている光景はなにか、そこでなにがおこっているのか。過去の戦争や戦場との類似はあるのかないのか。そしていつまで続くのか・・・終盤に彼女がドキュメンタリーを長い間見続けていて感じたことを、友人の有子の父、富士男に吐露するシーンがとても印象的だ。彼女が感じたこともひとつの真実ではあるはずだから。

 戦争や戦場に関すること(海野十三『敗戦日記』の挿入も含め)への関心も多くを占めるが、基本的には現在と過去の人間関係のなかで揺れる様を描写していくのが大きな構成としてある。関西と東京の人間関係がクロスするのは『また会う日まで』でもそうだったのだが、本作だともう少し関西(とりわけ大阪)と東京の距離があるなあ、というのを読んでいて感じた。特に心理的距離、という意味で。

 その心理的距離を象徴するのが大阪時代の友人であったクズイという男やその妹葛井夏なのだが、クズイは失踪したという設定になっているので回想のなかでしか登場しない。もうひとり大阪時代の友人である中井が頻繁に登場するが、中井よりもクズイの存在感が大きく感じるのは過去との距離を平井砂羽がひたひたと感じているからだろう。もうひとつ、父の死という過去の出来事も含め。

 そういう読み方をすれば、彼女の見ているドキュメンタリーも、人間関係における喪失も、すでにおきた出来事にかなりの割合で影響を受けている平井砂羽、という人間像だろう。他方で、会社の同僚であり若手でもある契約社員の加藤美奈がいま、そして未来を見据えて生きる存在として描写されている。アモイ出身の彼がいること、正社員への昇格を目指していることなど、どちらも平井にはないものである。遠くから来た誰かや、まだなされていない願望といった物理的距離と非物理的距離の双方が、平井にとっては遠く映っているのだ。

 もちろんそれ自体はたいしたことではない。もっとわかりやすい歳の差という距離もあるし、気にするか気にしないかも含めてささいなことではある。だが特になにも持たないからっぽな存在である平井砂羽にとってはささいなことではなく、決定的なことでもある。もしくは、そうなりうる。

 からっぽな平井砂羽がどのようにつきぬけるんだろうかと期待していたらしぼんでしまったのが最後の方の展開だったので、明確な答えは出せなくてももう少し前半のように吐露する感覚があってもよかったようには思う。彼女がとりあえずたどりついた答えが悪いとは思わない、が最後にあれを書くだけなら長々と彼女の悶々を描く必要はなかったはずだ。もしかしたら枚数の問題なのかもしれないけれど。

 ただ、リアルな戦争の描写を大量にインストールしながらひとりの人間像を構築していった、その過程を描いたことには三島賞候補になっただけの力量を感じる。わたしが”いなかった”街(過去、世界のどこか)と、わたしが”いる”街(いま、ここ)を何度も何度も繰り返しめぐることで時間の幅を感じさせるし、結果としてそれはわたしの未来をめぐる手がかりにもなっているように思える。ありきたりな言葉で言えば自分探しなのかもしれないが、不安なわたしの所在を遠くの、あるいは過去の誰かやどこかを通すことでみつめたい、という欲求は珍しいものでもない。

 もう一遍、長い話を読んだあとに「ここで、ここで」という短い話が収まっている。大阪港あたりを歩いている情景が柴崎らしい主人公のモノローグで語られていく。都市、特に海に面した場所においては橋が重要な役割を果たしているが、それは単に本来の橋としての機能だけでなく、まぎれもなくそこを通過する人々の体験にとっても重要なものとして機能する。その重要さというのは、他の場所ではない、橋の上から見ている世界を、日常から少しだけ高い場所に視点を置くことによって生み出される体験だ。しかしながら表題の「ここで、ここで」というのは特定の空間における地点を意味しているわけでもなかった、というのが短編を読ませる上では面白いと感じた。重みのある「わたしがいなかった街で」を読んだあとだとあっさりと読まれてしまう可能性が高いので、そういう遊び心は重要。

 いずれにしても「わたし」の見える視点を相対化させることによって、辛さと快感の両方を読書体験で味わうことができる。その体験が概して心地よいので、まだこれを含めて4冊しか読んでいないが、もう少し、特に新しいものを中心に読んでみたいなと思わせるには十分な一冊だった。


2012/12/22

長・短編集

初版
2012/6(新潮社)

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