ドリーマーズ


 柴崎友香は少しずつ読み始めているが、短編集は初めて読む。佐々木敦が解説を書いていて気になったのもあるし、長編での作風とどう違うのかが素朴に気になって読んでみた。ちなみに、柴崎を最初に読んだのは現在の最新作でもある『わたしがいなかった街で』の表題作が新潮に全文掲載されていたから(そしてたまたまその号の新潮が手元にあった。はじめは別の特集目当てに買っていた)なので、彼女の作家遍歴を遡るようにして読んでいる。

 文庫で30ページほどの短めの短編が5本おさめられたあと、倍程度と少しだけ長い表題作「ドリーマーズ」の6点がおさめられている。ゆったりとした文体でありながらも、場面転換が多用され浮遊した気分にさせられるのがなかなか面白く心地よい。佐々木敦が「夢」をテーマにしたコンピレーションである、と解説で評しているように、夢心地のような気分を読者にも与えてくれる。もっとも、この場合の夢は過度に色づけされてはいなくて、現実とはちょっと違う気分、というくらいのものではある。

 現実とはちょっと違う気分とは、たとえば浮遊したような心地を描いたりだとか、時間的な前後関係、また人間関係が不鮮明になっている、ということだ。たとえば「束の間」では「今って、いつなんやろう」というセリフがある。これは時間が前に流れるということが前提の小説とは違い、どこか別の時間から小説の中で記述される「いま、ここ」を回想しているようにも思える不可思議さがある。もっと言えば、「今って、いつなんやろう」とつぶやいている「今」とはどこなのか。はっきりとは明示されない。

 ただ、はっきりしているものがひとつだけあるとすれば場所だろう。関西と東京がクロスするように描かれるのは柴崎友香の小説にありがちだが、本作でも新宿界隈から初台、関西だと福島(大阪市内の)、梅田、八坂、下鴨・・・など。そういえば柴崎友香の言及する地名は、単に具体的な場を示すだけでなくそこになにがあるかが比較的イメージしやすいことにも気づく。誰のことかもしれない、どこぞやかの出来事ではなく、手の届く範囲で確かに起きているであることを、丹念に記述しようとするねらいがあるのかもしれない。

 具体的なことへのこだわりは、おそらく柴崎が「日常」に対して持っているイメージとも不可分ではないだろう。

 柴崎:私の小説は「何気ない何もない日常を描いてる」とか言われたりするんですけど、自分では全然そんな風に思ってなくて、普通の”日常”が一番変というか。すごく変なことがたくさん起こるじゃないですか。変な人を見たりとか。「日常」ってそれが全然説明されないというか、わけの分からないままのことのほうが多いですよね。電車ですごい変わった人を見ても、その人が何でそんな風になってるのか分からないまんま。目の前にある現実ってこんなに変だ、こんなに驚異的だ、ってことをもっと描いてもいいかなって。(佐々木敦(2011)『小説家の饒舌』メディア総合研究所、p152)

 こうした日常のとらえ方は、いわゆるあずまんが大王かららきすた、けいおん!に至る日常系アニメにおける日常のとらえ方とは異なる。柴崎にとっては変なことがたくさん起こるが、それが説明されるわけではないというのが日常なのに対し、日常系アニメではなにげない日常(=みんなが納得、共有できるような出来事の連続)が展開される。逆に言えばそれ以外はほとんど展開されないに等しい。不思議なことの連続を日常と呼ぶのは、あらゐけいいちのマンガ『日常』の持つ日常のスタンスに近い。あらゐの場合日常と名を打ちながら現実にはありえないような出来事を、おかしみと独特のユーモアともに描写する。柴崎の場合はもっと純粋に、現実を具体的にとらえようとすればするほどよく分からないままのことや不可解なことが容易に起こりうるし、起きているということを表そうとしているのだろう。

 その上で夢という現実とは相対するものをモチーフとしてかぶさせるのはなぜだろうか。柴崎はさらに続けて語っている。

 柴崎:で、夢って他人には絶対分からないじゃないですか。人の夢ってその人がいくら説明しても絶対分からないですよね。映像で再現されても実際に夢のなかにいる感じとはやっぱり違う。絶対そのまま伝わらない。それがすごく面白い。変な夢見たら一日変な感じがすることもある。そういうことをみんなそれぞれ抱えて過ごしている。でもそれは外からは分からないっていうことに興味あるんですよね。(前掲書、p158)

 柴崎はここでふたつのことを述べている。ひとつは夢の持つ”分からなさ”で、これはさっき引用した日常に対するイメージの延長と言っていいだろう。小説的に重要なのは次の点だ。つまり、夢の”分からなさ”はまた、他人には決して分からない。表現の限界のようなものが、夢の中では展開されていく。だからこそ、それを逆手にとって、夢のような小説を書いている、と言ってもいいのかもしれない。

 夢と現実を、非日常と日常を等質に扱っているわけではない。かといって、きれいに分けられるものでもない。夢には夢の、現実には現実の”分からなさ”を見いだすし、夢がいかに夢たりうるのかということも追求しようとする。夢がクロッシングを起こすとき、よりいっそう”分からなさ”の物量が増えていく。さらに登場人物たちに自己言及させることで、もう何がなんやらであるのだけど、幻想小説やSFとは違った形で不思議さを描くことができるのは文章のプロとして非常にたぐいまれではないだろうか。

 ゆえにいかにも柴崎らしい、のかもしれない短編集。ここまで書いてきたようなことをある程度飲み込んだ上でないと、読んでいても不思議さだけが残るかもしれない。その不思議さにこめた思いを、短いなかにかみしめてほしいな、と一読者としては願う。とはいっても俺も最初からきれいに飲み込めたわけではないんだけどね。


2012/10/16

短編集
1.ハイポジション2.クラップ・ユア・ハンズ!3.夢見がち4.束の間5.寝ても覚めても6.ドリーマーズ)

2009/8(講談社)
2012/8(講談社文庫)

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