その街の今は


 最近柴崎友香をなんとはなしに続けて読んでいるのだが、『また会う日まで』をまず読み、新潮掲載の「わたしがいなかった街で」を読み、本作『その街の今は』が3作目になる。読んだなかでは本作が一番短く、その分話の発展性も大きくない。元々そういうきらいが見える作家ではあるが、今回は本当にとりたてて大きなことが起きない。

 読んでいてはっきりと分かるのは、タイトルにあるように、また「わたしがいなかった街で」もそうだったように、街の今昔について記述、描写することがひとつのねらいにはなっている。短いので「わたしが〜」ほど分厚くはないものも、文庫版解説の川上弘美の解説にあるように大阪っぽさは伝わるように書かれている。川上弘美の言葉を借りれば、「都会」っぽい都会には見えないが、田舎とは違う素朴さや悪くない意味での平凡さを大事にして書いているのだろう、と思えた。

 「わたしがいなくなった街で」で、街の今昔を見せてくれるのは海野十三の日記や、あるいはいまこことは違う光景を見せてくれるドキュメンタリーの映像だった。この二種類のコンテンツと、それを受容する主人公の心境の変化を追いかけるのが話の筋だった。本作では元々の柴崎の筋だと思う恋愛の要素がやや色濃い。本作の主人公歌ちゃんにとって、街を見せてくれるのは良太郎という年下の男友達である。他愛もない交流を重ねる中でじわじわと接近していくふたりを描きながら、同時に近づきすぎないように配慮をしている。

 他愛のないふたりの会話はさほど長くは続いていかないし、たいていが良太郎のペースで、うなずきつつ関西弁で応答するのが歌ちゃんというところ。恋愛関係や友達関係というよりも、うまい表現ではないかもしれないが昔なじみが久しぶりに再会したくらいの会話のテンションが保たれているように読んでいて感じる。良太郎の素直さや明るさと歌ちゃんの軽やかな関西弁が相まってそうしたリズムを生んでいるのだろう。

 ただ、全体が短い分それ以外が淡泊にも見えてしまう。他の友人や智佐という先輩格の女性、あと歌ちゃんのバイト先であるカフェの描写がさほど印象に残らない。読んでいて印象に残るのは、あくまで良太郎と歌ちゃんの会話と、適宜挿入される歌ちゃんが暮らす大阪の街並みの描写にとどまっているな、と。街の描写も川上弘美が解説で書いている以上の感慨は伝わってこないので、「わたしがいなかった街で」を読んだあとだと単純に文章量だけでなく質的にも惜しいなあという思いがしてしまう。

 脇は置いておいて筋をもう少しふくらますのでもいいし、もう少し脇を厚くしてもどちらでもいいと思うのだけれど、悪くはないが強い印象には残らない中編として仕上がっていて、いろいろともったいないし端的に中途半端さが印象として残ってしまうなあと読み終えてまず感じた。読みが甘い部分もあるかもしれないし、古い写真や昔の大阪の映像の描写を挟みこんで主役ふたりにはたらきかける描写は読み応えがあるのだけれど・・・と。

 柴崎友香への興味は変わらずあるのでもう少しいくつか読んでみようとは思うし、本作の関心は「わたしがいなかった街で」に引き継がれていると思う。いろいろと読んでみて、そのあとにもう一回本作をとらえ直せばいいのだろうか、と今は思う。


2012/10/16

長編

初版
2006/9(新潮社)
2009/5(新調文庫)

(2006年)2006年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、第23回織田作之助賞大賞受賞、咲くやこの花賞を受賞

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