青空感傷ツアー


 柴崎友香を少し前からちょっとずつ読み進めているが、外国の風景も書いているということで気になって読んだ一冊。案の定柴崎らしいというか、日常系とは違うものも身の回りで起きていることをつぶさに書く、とにかく書くという形でストーリーを組み立てているので、四国に行こうが外国に行こうが、「いま、ここ」が違う場所に至るという点ではパラレルに扱われる。

 東京発新大阪ゆきの新幹線の車内から物語は始まる。豪快な女の子音生(ねお)と、旅をすることになったわたし(芽衣)はトルコ、四国(徳島)、石垣へと足を運んではすぐにまた移動をする。おそらく、柴崎にとって大阪はかなり意味のある場所では会っても、トルコや徳島や石垣はそうではないだろう。ただ、大阪以外で物語を展開させるためにこれらの場所は用意されている。なぜか。それは感傷のため、ということにタイトルから想像すると説明するのが無難なのだろう。

 「青空感傷ツアー」というタイトルから想起するイメージは、青空の持つ底抜けない明るさや希望という側面と、感傷ツアーというナーバスでネガティブで暗い要素で、結局どちらを強調した物語を作るのだろうか、と思いながら読んだ。わたしの観察する音生という個性は、わたしを薄くさせるには十分で、正直読んでいてどっちが主人公なのか分からなくなる。音生との「感傷ツアー」を書いた話だからなおさらそう感じさせるのかもしれないが、逆に印象も個性も薄いわたしが、何を獲得していくのかを負う必要がある。あくまでも音生とわたし、二人揃っての物語である以上は。

 とは言うものの、最初から最後までかなりあっさりと読めてしまったので、どこをどう評価していいかがちょっと難しい。たとえば 音生とわたしが一緒に湯船に浸かるシーンで、わたしが音生の裸体を具体的に細かくみつめ、少し女性としての嫉妬をするシーンは音生という女の子を立体的にイメージさせるには悪くないシーンだった。男と女だとこうはいかないし、女と女だからこその視点があって成りたつものがある、と指摘することはできるだろう。ただ、最後まで読むと、この感覚が実は別の要因でもたらされた可能性も指摘できる。最後まで読むと、のちに書くことになる「主題歌」の着想が音生とわたし(正確には、わたしが音生を「見る」という図式)にあるようにも思う。

 もうひとつ指摘するとすれば、トルコで遺跡を見たことを徳島で永井くんに報告するシーンがあるのだが、ここでのわたしの視点は柴崎らしさが出ている。柴崎の場合、ある一地点を主体(今回ならわたし)がどのように経験したのかを、一様ではない形で細かく説明することによって、主体(わたし)の見える景色を描写する。遺跡という、かつて栄えた場所の近くに墓のような意石がごろごろ転がっている、という柴崎の文章は、時間と空間の多様さを織り交ぜつつ適切にわたしの視点をとらえている。

 とまあ、こんなふうに細かいところを指摘したが全体をまとめると、音生とわたしが最初とは違う形で仲良く接近していくお話、というところでいいかな。文庫版の背表紙には各紙で絶賛とあったがさすがにそれはちょっとどうなんかい、と思うぞ。今からだから言えることなのかもしれないが、安定の柴崎らしさはもうとっくに確立されてたんだなということが実感できる一冊ではある。それでももう少し、内容に踏み込んでほしかったかな。言葉や描写の良さだけでは、本一冊の良し悪しを決められない。


2013/6/7

長編

初版
2004/3(河出書房新社)
2005/11(河出文庫)

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