GOSICKY 仮面舞踏会の夜


 前のレビューでどう続くのかと書いたと思うが、確かに5巻の続きという形式をとっているものもかなりの部分は独立しているのが6巻だった。ただかなりの部分が、というのが重要で、あくまで全てではない。前巻から引き継がれる要素はもちろんあるし、シリーズ全体の謎解きにもじわじわ詰め寄るのがこの巻だと思っている。

 修道院「ベルゼゼブの頭蓋」から抜け出した久城とヴィクトリカは、ある列車でソヴュールへ向かっていた。その列車で乗り合わせた人々と交流することになるが、話が進むにつれて彼らは自分語りを始める。それも名前を偽装した形で。<孤児>と名乗った少女、<公妃>と名乗った女性、<死者>と名乗った男と、<木こり>と名乗った青年。出自不明の4人との遭遇が、ある事件を呼び寄せるが、その事件はベルゼゼブの頭蓋の事件とも関わりがある、というお話。

 登場人物も多くなければ話の筋としてはさほど長くなくて、内容だけを説明するのなら長編にしなくても短編にしてもよかったくらいだろう。ただ、それでもこの巻を書いた理由のひとつは、ヴィクトリカを登場させるためとも考えられる。ベルゼゼブの頭蓋では実質的に「囚われの姫」状態であった彼女はほとんど出番を与えられなかった。それでも進行する事件に歯がゆい思いもあったかもしれない。もちろん、それ以上に本作で明かされる謎は5巻の謎と間接的にではあるが密接に関係していて、そのことはつまりヴィクトリカ自身が本作でも巻き込まれる存在であることを意味する。

 彼女を取り巻く謎、というのは確かにシリーズ通じて少しずつ明かされてきたし、それぞれの巻の謎解きにも織り込まれてきた。久城も謎に巻き込まれていくひとりだが、ヴィクトリカの出生の秘密などを知るにつれ、彼女との距離は物理的に近づいているようで、精神的に遠ざかっているのではないかと思っていた。久城にとってヴィクトリカは守ってあげる(あるいは、もう少しやわらかく表現すれば面倒を見てあげる)存在であるし、それは彼の中で使命のようなものとして芽生えていく。

 話が少しそれたが、久城とヴィクトリカの距離はこの巻でも表れていて、久城のとった行動がいつになくヴィクトリカの関心を引くことにもつながっている。ふたりのやりとり、ってこんなにかわいかった、っけと後半は読みながら思っていた。久城にとっての守るべき、あるいは面倒を見てあげるべき存在は尋常じゃない何かを抱えている。久城の不安はそれほど描写されているわけではないが、この巻を読んで何かほっとするものをあった。特にエピローグでのふたりのやりとりは秀逸だなあ、と思う。ベタではあるかもしれないが、ベタさに救われる何かはある。

 トリックの話をしておくと、登場人物たちのナラティヴによって物語は最後まで進んでいく。こういうトリックの場合誰がウソをついていて、誰が本当のことを言っているか。あるいは、どの程度までがウソで、どの程度本当なのかを見極めることが重要なのだが、ちりばめた伏線の回収の仕方は比較的きれいだと思うので、少なくとも犯人あてにチャレンジすることはできるだろう。乗り合わせた4人ともふつうの人たちじゃない、というのは彼らの会話から読み取れるが、真実を知ったときはなるほど練られているなあと感じた。

 本編としては残り7巻と8巻のみになってしまったが、だいぶ終わりも見えてきた。ヴィクトリカに関する謎がこれ以上明らかになってもなお、久城は彼女のそばにいることができるのか。物理的にも、精神的にも。ミステリー自体の仕掛けも楽しみにしつつ、ふたりの関係性の変化も見守りたい。


2012/3/30

シリーズ物長編

初版
2006/12(富士見ミステリー文庫) 絶版
2010/11(角川文庫)
2011/11(角川ビーンズ文庫)

 

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