傘の自由化は可能か


 大崎善生という作家の本を読み始めてしばらくが経つ。最初が作家デビュー作である『パイロットフィッシュ』で、確か2004年の検査入院の際に入院のお供にたまたま本屋で見かけて買ったもの、だったんじゃないかなと思う。たかが中二の子どもが読むには作家の恋愛小説はそれこそ読みこめたものではないだろうけれど、詩的とも言える言葉選びと世界観が印象に残ったのは覚えている。決して幸福でもないが、どこか光っている。内面に影があるからこそ、光を求めようとする。大崎善生という作家の本を何冊か読んで来て思うのはそういう感覚で、気づけば読んでない著作の方が少ないくらいになってしまった。読書量のわりに諸事情あってレビュー数が少ないのは申し訳ないのだが。

 いくつかの雑誌で連載されていたものを集めたもののようで、時期は2000年代前半から本作の単行本刊行時ごろまでとみられる。複数連載のため、時期によってネタのかぶりはあるものも、同じ文章でないからこそ若干の切り口の変化がかいま見えて、それはそれで読んでいて面白い。「ヨーロッパの空」と題した序盤以外は大きなテーマに固執することなく、日記のような体裁をとっている。今になって思うと小説のネタがいくつもあり(『ロックンロール』における掃除のおばちゃん、など)ファンとしてはニヤリとさせられる部分も多い。妻である高橋和との関係、『ドナウよ、静かに流れよ』を執筆しようと思った動機、上京して得た違和感、作家を目指した頃の苦悩、などなど大崎善生の人生が垣間見えるだけでなく、彼の作家としての哲学も見受けられる。

 まず、傘の自由化は可能か、というタイトルと、それにまつわるエピソードについて。これについては大崎が北海道から東京に大学進学のために上京してきたときのエピソードから始まる「記憶の湖」の中の最初のエッセイに詳しい。大学になじめず、新宿へと赴いた日々、その中でアパートで物思いにふける日々。学生時代というのは、あれやこれやと考えすぎてしまうのだろうか。期待を持って上京して裏切られるという気持ちは、同じように大学進学のため上京した自分は分からないでもない。ただ北海道の広大な大地と東京という大都会の両方の経験は自分にはないもので、分かったつもりになるのはあつかましいだろうか。

 序盤のエッセイ「ヨーロッパの空」シリーズは主にフランス、イタリア、ウィーンでの生活が描写されている。『ロックンロール』で主人公がパリのホテルに滞在して執筆、というネタはやはり自身の体験から来ているようだ。日常で出会う人々とのなにげない会話への雑感や、ヨーロッパ在住の友人とのふれあいなど、日本では味わえない質感がまさに小説のように伴ってくる。ヨーロッパのシリーズはもはやエッセイなのか小説なのか分からないくらい、ネタが豊富なのはともかくとして、文章が伸びやかでおおらか、またどことなく大崎の小説に伴う詩的な感じが漂っている。小説家エッセイか、すなわちフィクションかノンフィクションかではなく何かを書くという行為が、生きるということだからか。

 それは本書の中で見られる小説を書くという思いにも見てとれる。文学青年として育ち、大学時代に書きたくて机に向かったが思うようにならない。なんとか編集者になり、40をすぎてから本を出せるようになったし賞をとるようにもなった。大崎にとって生きる行為でもあるが、決して楽ではない行為、つまり大崎は苦心しながら生きてきたし、これからも生きていくのだろう。「言葉の宇宙」の中の「きっかけ」という節でも小説を書く苦悩を語っている。

 多様なエッセイをまとめる、なんてことはあつかましいが、それでもまとめて言うとするなら、大崎の感性のつめこみなのだろう。本書がその蓄積。ヨーロッパであったり、かつての新宿であったり、どこかの飲み屋であったり。それのどこかが実際書かれた小説につながっていることもあったりするからファンとしては読んでいて面白い。ただ、それ以上に思うことは作家としての観察眼である。人を見る目、は人生経験がものを言うところもあるのかもしれないが、びっくりさせられる。「記憶の湖」に人の優しさについて触れられているところがあるが、驚きを禁じ得なかった。その発想はなかった、としか言えない。確かに言われてみればそうなのだろう、と思うのに。

 今回はレビューというより、エッセイ集である本書に対するエッセイのような文章である。本書にも詳しく言及されているが、ルーマニアでドナウ川に身を投げた渡辺日実は当時19歳だったようだ。もうすぐ俺は彼女の生きられなかった20代を迎える。その前に本書を読めてよかった。成人式から帰る新幹線の中で、というのも、なんかいいなあと勝手に思いながら読了したのであった。非常に充実した読書だった。ところどころ、感傷的になったりもしたけれど。


2010/1/17

エッセイ集

初版発行
2006/11(角川書店)
2009/11(角川文庫)

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