コロロギ岳から木星トロヤへ


 作家の認知は『第六大陸』や『復活の地』のときからあったが、ちゃんと読み始めたのは『天冥の標』シリーズからという意味ではまだまだ小川一水に関してはにわか読者である。だからあまり適切な比較はできないという前置きで書くが、本作は非常に面白く、そして何より楽しく読めた。その理由は大きくふたつあって、ひとつはコミカルな文体とテンションだろう。コロロギ岳では若い女性がパートの担い、木星トロヤでは少年ふたりがパートを担うが、彼らは目の前で怒る不思議な状況をまっすぐに受け入れて乗り越えていくしなやかさを持っている。正確には、そのように設定されているというべきだろうが、いずれにせよシリアスにも書くことの出来る話をあえてコミカルに書いてみることで、ハードSF作家としての小川一水とは違う一面を見られたといっていい。

 そしてもうひとつの理由は、それでもやはりSFだということだ。簡単に言えば時間超越もので、数百年離れたある地点とある地点(コロロギ岳と木星トロヤ)が一直線に結ばれる。もちろん、人の論理や技術ではそれは解釈することも実現することもできない。そして、ここにSFの魅力がある。カイアク、あるいはケイアックと呼ばれる謎の生命体を配することによって、物語が抜群にSFとして面白くなるようになっているのだ。シンプルかもしれないし、小川にしては比較的短めの長編だからこそできたことかもしれないが、最初から最後まで複雑すぎることを排し、コロロギ岳と木星トロヤがいかにこの生命体に対応し、克服するかというシンプルさを貫徹したことは、文体以外の面でリーダビリティの高さにもつながっているだろう。

 あらすじはシンプルで、2331年の木星トロヤで古い戦艦に忍び込んだ少年ふたり(ワランキとリュセージ)がカイアクと出会い、他方で2014年のコロロギ岳では観測所の天文学者たちがカイアクと出会う。時間を超越することが「当たり前」であるカイアクは自分のせいで”詰まり”が生まれてしまったことを危惧し、2331年と2014年で助けを乞うことになる。2331年の少年ふたりもまた、戦艦から抜け出せなくなってしまい(主にカイアクが原因で)、2014年に助けを求める。2014年から2331年へ、文字通り、コロロギ岳と木星トロヤへ。岳樺百葉たち観測所の所員はいかにしてカイアクと、少年を救い出すことができるのか。

 SFという普通の人がとっつきにくいと思われるジャンルでありながら、これほどすぐれたリーダビリティを発揮した小説も(ラノベ以外では)珍しいように思う。2331年では少年ふたりが冒険をするように、2014年では少し天然の入った百葉が人称を担当することで、全体的にテンションが比較的ゆるく書かれている効果は指摘できるだろう。それは単にゆるい文体にしたということもあるだろうが、カイアクという謎の生命体に対しての好奇心がまず根底にある。そしてその好奇心はカイアクもまた持っている。未知との遭遇は、双方向的に見られる現象だ。

 未知との遭遇を果たしたとき、たとえ大人であっても純粋に接することができるのではないか、という予感もした。百葉のキャラがそういうものであったり、政府の人間も登場するという展開も書きながら、カイアクとのコミュニケーションを深刻なものとしては描写しない。目の前にいる生物はいったいなんなのだ?という視点が最後まで崩れないのは読んでいて楽しかった。だからこそ、別れは切なくもなる。出会うはずのなかった存在との出会いであり、出会ってはいけなかった出会いかもしれない。2331年で奮闘しているのが大人ではなく少年だったことや、カイアク自身も好奇心の塊であることが、この物語をワクワクさせてくれる。SFはこういう表現もできるのだと、小川一水は教えてくれる。

 最後に少し触れると、時間を超越して思いを届けるための方法がなかなかに示唆的で、電子書籍の時代がやってきても紙の本を残していくことの意義のひとつだろうなと感じた。データはいつ消えるか、あるいは読み込めなくなるか分からない。すべてではないが、本は数百年の時を経ても確実に残る。歴史は刻まれる。カイアクのように人は自分自身が時間を超越することはできないが、刻むことによって思いを伝えることはできるのだ、と。かつて多くの人が、そうしてきたことによって、いまの私たちが過去からのメッセージを受け取っているように。あ、あとググったら腐女子要素がうんぬんとあったけど、俺にはよく分からない(ということにしておく)のでノーコメントで。


2013/5/4

長編

初版
2013/3(ハヤカワ文庫JA)

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