星が吸う水


 文庫版のカバーイラストでもうすでに多くのことを説明しているようにも見えるが、村田沙耶香は性(あるいは生)について書くことに定評のある作家だ。とはいえまだ彼女の作品は多く読んでいないため、本作を読んでその評判をようやく自分の目で確かめられた、といったところである。

 文芸誌『群像』に掲載された二つの作品「星を吸う水」と「ガマズミ航海」が収められていて、いずれも女性目線(はっきりとは明示されないが、会話などから察するにアラサーあたりの年齢だろう)の性の体験とそこからくる葛藤や苦悩がテーマとして埋め込まれている。しかし、村田にとって性を書くということはあくまでも性という対象をネタとして物語を構築しているにすぎなくて、様々なセックスシーンが本書には登場するものも、それらがとりたてて官能的ではないのが特徴だ。これは村田が純文学の作家であって、官能小説家ではないことのはっきりとした区別がなされていると言っていいのだろうと思う。(もっとも官能小説についてはさほど詳しくないし、これ以上のことはあまり多く書かないでおくが)

 「星を吸う水」では主人公の鶴子が、抑えきれない性欲ゆえに男性を処理の道具としてしか見られないことに苦悩しながら、より新しい快楽を求めようとするところに面白さがある。前者だけならば内面を垂れ流すだけのお話になってしまうが、発言も行動もやや暴走気味で抑えのきかない鶴子の存在と、彼女とはまた違うセックス観を持つ友人である志保や梓たちとのやりとりがあって、鶴子自身を相対化して読むことができる。

 外出中に性的に興奮してしまい、膣が勃起した状態になったために我慢できずトイレへいきたくなるというほどの鶴子の性欲は、若くて性に敏感な男子高校生のようでもあってある意味ほほえましい。そもそも性やセックスに対して、何か正解というものがあるのだろうか、と考える。一定の年齢になったならば、性欲に対しては抑制的にならなければならないのだろうか。他方で日本人は諸外国に比べてセックスレスのカップルが多いということも話題になる。性について、どう向き合えばよいのだろうか、という問いが自然と立ち上がってくる。

 性欲を抑えられない鶴子に対して、「ガマズミ航路」の結真は、「ほんとうのセックス」ができないことに苦しむ。知り合った美紀子も性の悩みを抱えていて、協調した二人はある「実験」を開始する。実験は着々と進んでいくが、ゴールははっきりと見えてこない。ただ、二人はお互いの体を通じて、それまでに知らなかったことを確実に習得していく、という形で実験の成果は得られる。これはどういうことかと言うと、鶴子が試みた性欲のもてあまし方とは目的が違うものも、鶴子も結真も(そして美紀子も)普通のセックスではないありかたで性に対する挑戦を試みていると言えるのだ。

 とりわけ「ガマズミ航路」でおいては、結真と美紀子行為は性的ではあるがその行為はどこかセックスとは違う方向へと導いている。セックスが性欲を満たすことだとすれば、二人は性欲を満たしたいわけではない。ここが面白いのだが、むしろ性的な身体の要所を外して行為をすることにお互いが合意している。性的なことをセックス以外の形で試みる鶴子と、これも少し方向は違うが似ているのだ。

 この二作を通して読み、二作に通底しているセックスから離れることの意味に気づいてようやく村田沙耶香の意図が見えるのではないか。「ガマズミ航路」ではジェンダーの問題にも村田は挑んでいて、ヘテロな身体を持つ二人の行為が一般的なセックスであると仮定した上で、そうではない性行為を登場人物に課すのだ。そのことに結真と美紀子は自覚があるのかどうかははっきりとしないが、二人が覚えた快楽は男女間の性行為ではうまれないものだしだから「実験」という言葉に意味があるのだろうと思う。

 女性にとっての性のあり方。それは男性に対してのみ向けられるものでもないし、控えめで慎みを持つべきでもない。性欲という男女に共通すること、そして人それぞれ違っている身体で性に対して向き合うこと。そういった性をとりまく視点を、真摯に、生々しく具体的に(かつ官能的ではない)表現しようとつとめていることが、本書の二作の短編を読むとよく分かることだろうと思う。そしてまた読者も性に向き合うことになるのだろう。女性読者ならなおさらに。


2014/1/30

短編集
1.星を吸う水2.ガマズミ航海)

初版
2010/2(講談社)
2013/2(講談社文庫)

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