ひとがた流し


 朝日新聞に連載されていたころから本作のことは知っていたが、文庫化されてようやく手に取った。鳩山由紀夫が首相になってからよく聞かれるようになった「友愛」という言葉が文庫版の帯には記されている。なるほど、これが大人の友情かと思わされるシーンを、娘であるさきや玲の立場を通して読んでいた。

 高校時代からの友人である石川千波、水沢牧子、日高美々は40代を迎え、仕事にうちこんだり家庭を持ったりする中でも仲のいい関係を続けていた。アナウンサーの千波、文筆業をする牧子、写真家日高類の妻である美々はの3人のうち牧子は高校生のさきを、美々は大学生の玲を娘に持っている。タイトルは千波がかつて川に人の形にした紙に願い事をこめて流した行事から由来する。

 丁度さきや玲と歳が近いこともあり、千波や牧子に感情移入することはなかなか難しかったが、それぞれの家族や関係性を通して紡がれている普遍的に大事なこと、人のぬくもりが感じられるのはシナリオの巧さだけではなく北村の文章の妙味もあるのだろう。過剰に書きすぎない北村の文章の姿勢が今の時代に受けるかどうかは別にして、こういう人間くさい小説にはよく合っていると思う。最終的には千波が軸としてストーリーが動いていくのだが、彼女の喜びや悲しみに対しても必要以上の言葉を使わない。最近読んだ『玻璃の天』でもそうだったが、淡々と冷静に客観的に描写をする姿勢は熟練のものだ。今回の直木賞受賞にも何らかの形で好印象を与えたのでは、と思っている。

 初期の「私シリーズ」を思い出させる言葉遊びというか、ささやかなユーモアがほほえましい。千波がなぜトムさんと呼ばれるか、飼い犬は一匹目なのになぜギン”ジロー”と呼ばれるのか。牧子やさきや美々がライブハウスで見かけた人がレストランにもいた、彼の名はスズキさんだった、と。彼はいったい誰なのか?これらはきっとストーリー全体のちょっとしたスパイスに違いない、と思って読んでしまったことを後々後悔する。そして単純に思ったのは、人は一人では生きていけない。ありふれているかもしれないけれど。ある程度は生きていけるかもしれないが、限界がある。いつ何が起こるか分からないのが人生なのだから、である。

 石川千波のアナウンサーとしてのプロフェッショナルにふれられる場面がいくつかあるが、中盤から登場する日高類のカメラマンとしてのプロフェッショナルが、はっきり重なり合うわけではないが仕事に込める思いの強さを感じさせられる。日高類に関しては、娘でありカメラマン志望である玲が類に対して尊敬のまなざしをむける一方、類の過去と自分の境遇に葛藤する。特に大学3年を迎えたときの玲の描写や台詞が印象的で、自分のやりたいことがある一方、過ぎゆく時間を不安に思う気持ちに同世代として共感できた。さきが大学入試を迎え、大学寮に移る、という描写も不安と希望の入り交じりが等身大で描かれているが、それをみつめる親である大人たち、この場合牧子と類のやさしさ、というかあたたかさをここでも感じることができたり。

 ネタバレになってしまうので詳しく書けないが、千波も玲もさきも、新しい方向へと針路を向け、新しい気持ちで今を生きようとする。前述したが新しいものには往々にして不安がつきまとう。希望がそこにあったとして、それよりも不安を気にしてしまう気持ちは多くの人が共感できるだろう。ただ、それこそ流れてゆく人生の中では希望と不安が常に交錯するもので、そのときに周りに誰かがいてくれるだけで生きていくのはずいぶん楽になるし、実り多い人生になるだろう。千波が牧子と変電所にしのんびこんだ想い出を振り返るシーンは、描写は淡々としているけれどしみいるものがあった。


 大事なことを大事だ、とストレートで言われても実感がない。北村薫のすごさは小説という風に形にして、自然に読者に対して伝えられることだ。誇張もせず、わざとらしくもない。伝えようとすることは純粋かもしれないが、小説の中身は非常に人間くさいから説得力もある。やさしくてあたたかい小説でした。


2009/10/20

長編

初版発行
2006/7(新潮社)
2009/5(新潮文庫)

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