すべて真夜中の恋人たち


 長編としての前作にあたる『ヘヴン』は読書界や文学界のみならず多方面に、その濃厚な(だが伝統的な)テーマゆえに話題をまいていたと思う。芥川賞を受賞した『乳と卵』までは彼女の常だった関西弁を多用する文体も完全に封印したこともあり、また何より受賞後第一作という意味でも注目を集めた。ここから川上未映子の第2部が始まっていくのか、と当時思ったものだが早2年経ち、今回新刊として本作が刊行された。

 単行本自体は買ってなくて、全文掲載されていた『群像』でつらつら読んだのだけれど、なるほど川上未映子はこういう風にキャリアを重ねているのか、という実感をまず得た。34歳のフリー校閲者入江冬子と、先輩であり彼女に仕事を託す存在でもある石川聖、そして冬子がカルチャーセンターで出会う58歳の数学教師の三束さんが主な登場人物で、ほとんどこの3人しか出てこないような物語である。そしてその中でも冬子の語りや描写が長い。とにかく長い。あれだけ語りを尽くしてもなお、という感じが読みながらしていて、小説のなかでどれだけの時間が経っているのかの実感が掴みづらいという妙な感じを覚えた。

 前作は「善と悪」という複雑なテーマだったが、本作のテーマはこれ、とはなかなか判別しがたい。恋愛はあくまでジャンルであって、それ自体はテーマではないだろう。自分が読んだ中で描かれていたと思われるのは、ひとつは距離感の取り方だ。冬子と三束さんとの関係は恋という文脈で、冬子と聖との関係は仕事相手という文脈で、そして冬子の独白(ないし回想)する過去は、その当時の彼女と誰かの距離の取り方でもあるし、彼女自身の問題(現在の彼女と過去の彼女との関係)でもあると言える。

 正直、本作にストーリーというものを感じなかった。たとえば『ヘヴン』はコジマとの関係を築きながらいじめに向き合いつつ葛藤していく主人公の物語であった。物語のゴールである並木道のシーンは印象深い。だが、本作では始まりすら曖昧だし、終わり、すなわち物語のゴールですら非常に曖昧だ。え、あれ、というところで物語が終わってしまった、というのが正直なところだった。

 どちらかと言えば、長い詩を読んでいるような気分でもある。つづられるのは基本的に冬子の一人称による独白なので、聖や三束さんの感情は最小限にしか物語に介入しない。大きな主眼でもある冬子と三束さんの恋も、ネタバレをしてしまえばそれはあくまで恋であった愛にはたどりつかない。それは物語が続いてどこまで行っても、おそらく。そう感じさせるくらい、冬子という人間について読者は偏って知りすぎる。

 その上で言うと、冬子は他人との距離の取り方についてかなり痛い。下手すれば2ちゃんねるやニコニコ動画を徘徊するヒキニートよりもなお、かもしれない。そんな他人との距離の取り方が下手な彼女はどうしてそのようになったのか、そしてそんな彼女はどのような現在を、どのような34歳の女性を生きるのか。このふたつが物語の軸であって、前述したように三束さんや聖はあまり多く登場するわけでもないし台詞も抑えられているから、それ以上でも以下でもないような気がした。

 ただ、だからこそ「すべて真夜中の恋人たち」というタイトルに称賛を送りたくなった。川上未映子はかなり確信犯的に(作家だから恣意的に作り込むのは当然だ、という意味以上に)冬子や聖、そして三束さんという人物を本作の中で動かしている。他人との距離の取り方は器用とか不器用なのではなく、単に視界の問題かもしれない。そして3人ともおそらく、視界をシャッフル(*1)させることはできない。それができていたら、こんなにもぎこちない人間関係を送っていないだろう。とはいえ、視界がすぐに晴れるわけではないし、視界を晴らしたりシャッフルさせるスキルがすぐ身に付くわけでもない。そしてそんなふうに真夜中を生きている人間は、現実にごくふつうに存在しているだろう。

 つまり、誰もが昼間を生きられるわけではないのだから、真夜中を生きている者としてどのように歳やキャリアを刻んで生きていくか。ちょっとした仕事小説という内容からしても、それが本書の核心ではなかろうか。最初に挙げた距離の取り方という観点から見れば、理想の自分と現在との自分の耐え難い距離も色濃く描かれている。真夜中を生きる者たちは前述した視界の問題もあってきっと何者にもなれない。だからこそ普通の人よりも違う形で生存戦略をとっているのだ。(*2) ファンタジーではない以上、ピングドラム(*3)など見つかるはずもない。ただただ、生きていくだけだ。ひとりではたいへんだから恋をする、それだけだ。たぶんきっと、それだけなのである。冬子や聖を人が責めようとも、じゃあどうしろって?とはね返されるだろう。だからこそ、容認や承認といった形で異性を頼るのは非常に納得がいく。それも真夜中を生きていくための手段だからだ。

 そしてもうひとつ言えば、「すべて」とタイトルに名打ってるのも面白い。結局恋をしているときの私たちは、いつのまにか真夜中に迷い込んでいるのかもしれない。もしくは、そういった状況を私たちは恋と呼んでいる。そんな気もする読後だった。なんでもないようなお話だし、物語の抑揚もほとんどないのだが(冬子の回想シーンが一番盛り上がっていた気がする)不思議と胸にすっと入ってくる。あとは川上未映子の作家人生が真夜中に迷い込んでしまわないよう、祈るだけだ。彼女はどこへ向かうのかサッパリ分からないが、それはそれで楽しみではあるからのんびりと付き合ってみようと思う。

 
*1 参考→「
視界をシャッフル」(これ以上のばかにならないために/lee_mellon)

*2-3 「
輪るピングドラム」というアニメの小ネタを使い回したことについてはご了承を願います。なにとぞ。


2011/11/17

初版
2011/10(講談社)
2014/10(講談社文庫)

特設サイト(講談社BOOK倶楽部)

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