乳と卵


 半年ほど前、自分の通っている早稲田大学の戸山キャンパスで川上未映子の講演を聞く機会があった。タダだし好きな作家だし、行かざるを得ないと意気込んで行ったらすごい数の人(学生以外の人もたくさん)で、結果的に入れなかった人もいたようだ。ほんとうに、人気作家である。確かテーマは文学部と文化構想学部の1年生向けに小説について好きなように語るという適当だか曖昧だかよく分からないテーマであり、予想したように川上未映子は喋る喋る。抽象的に、哲学的に、かつ饒舌に喋る彼女のエネルギーはどこから来るのだろうと思い、しばらく聞いていた。

 彼女が言いたかったことはシンプルだ。曰く、小説家の仕事は地獄を記述することである、と。言葉でしか語ることのできない地獄を。だから、小説を読むたびに作家が何にとらわれていて、どういう地獄を書いているかを気にして読んで欲しい。そして、本をたくさん読んで、いつかあなたも小説を書いて欲しい、と。あなたがとらわれているものについて、あなたにしか書けない地獄を。

 と、前置きが長くなったがタイトルと内容が相反する『ヘヴン』だとか、本作についてもだが、川上未映子が何にとらわれていて、何を記述しようとしているのかを意識することでずいぶんと読みやすくなるのではないかと思う。『ヘヴン』が対話的なストーリーであったが、本作は自己問答的なストーリーであり、延々とそれこそ地獄の底まで続いていそうな未練やら願望やら何か欲望めいたものが語られる。それ自体がストーリーを構成しているので、長さはそれほどないものも何か重たいものをしょいこんでしまうような感覚が読後におそいかかってくる。

 表題作「乳と卵」は女性性をめぐるあてのないお話である。女性の象徴とも言える乳(乳房)と卵(卵子)は、命とも密接に絡むがより直接的にはセクシュアリティとの関連で言及したほうが分かりやすいだろう。セクシュアリティ、つまり女性の中で完結する観念ではなく、男性の観念も入り込む場所。ここ書かれる女性性はあくまで大人のものであり、少女である緑子には理解しがたいもの。緑子が独白するいらだち(母親である巻子に対して、周りの男子に対して、そして少しずつ変化していく自分の体に対して)が非常に印象的で、多くの人がこの過程をたどっているとしても不自然ではないのかな、と思う。あくまで男としての自分は、女性である作家が描写した様を感じ取ることでしかイメージすることはできないし、一生味わうことのない体験なのだけれど。

 つまり、男の場合は体自体の変化に対してセクシュアルな変化を感じるという経験はほとんどない。思春期を迎え、自慰を覚えることはあっても体自体に大きな変化があるというよりは、あくまで心の問題、内在的な問題である。中学、高校を経てどんどん体が変化していくクラスの女子を眺めていて、それ自体が異質であると思わないこともなかった。おそらく、緑子が本作でつづっているように、男と女では大人になる過程が表象的に違いすぎるが故に、内面的にも外面の変化が大きな影響を与えているのではないか。本作に一切男性は登場しないのもまた面白くて、男性を排除することで女性だけのものとして乳であったり卵であったり、女性を象徴するものを再考してみようという作家のねらいが(川上未映子の言い方をするなら地獄が)あるのではないか、とも感じる。巻子にとってはそれがロマンティックであり、緑子にとっては忌避的なものであるのは大人と少女の違いから来るものなのか、そうでないのかはちょっと分からないのだけれど、非常に好対照なふたりを眺めるのはなかなかに興味深い。ひとりの男として。

 女性性を問い直すようなタッチは文庫版に併録されている「あなたたちの恋愛は瀕死」にも色濃く表れている。こちらはセクシュアルなものを書きつつ、恋愛観を表現しているのが表題作との違いかな。”行為”に至までの経緯について、あるいは行為のあとの自然さについて、そもそも行為の必要性について。後半に主人公が行為の主体性の所在について語っているところが一番印象的。主体性と満足感について、関係性についての問答は体自体をどう扱うかという根源的な問いにもつながる。まあ、行為の経験に乏しい自分にとってはうなずきながら問答を追っかけるしかなくて、その顛末があれかよ、と驚いたラストでもあった。実はちょっとしたミステリでもあったのである。

 自分もかつては緑子ほどではないにせよ、変化していくことへの違和感を持っていた時期があった。公然と語ることの出来ないある種の後ろめたさも抱えていたし、思春期ってこうやってもやもやする時期なんだなあ、と達観したりもした。通り過ぎれば何のこともないのだけれど、当事者としてはやっかいな問題であるし、なあ見た目までも変化する女性の場合はまた特別な問題なのかもしれないなあ、と思いを馳せるための小説、かな本作は。かつ、流れるように描写される行動や心象が鮮やかでもあり、細かすぎるとさえも思う。内面を描写するために行動を描写していると思われるシーンはいくつもあって表現としてうまいなあ、と感じた。また、緑子の独白でも関西弁を用いているのはより直接的な物言いという意味では実感がこもっていて面白い。関西の人間ならそりゃ、どうしてというよりはなんやねん、と言いたくなるだろう。あと、今まで書いてきたように内容的に男と女で読み方がかなり異なるであろうので、異性の感想が気になる小説ではある。


2010/12/4

中編

初版
2008/2(文藝春秋)
2010/9(文春文庫)

文庫版 表題作のあとに「あなたたちの恋愛は瀕死」という短編が収録

 

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