小指の先の天使


 神林長平という作家の名前はずっと知っていたし、ハヤカワの本棚を眺めるたびに目にしていたのだがなかなか手が伸びなかった。理由はいくつかあるが、アンソロジーが複数出るほど作家として年数を重ねているせいか、どこから手を着けていいかが分からなかったため、というのが大きい理由である。本作もだいぶ前になんとなく買っていたのだが、読み始めるまでには時間がかかってしまった。新しい作家を読み始めるときは大体こんな感じである。

 さて、本作である。中盤を過ぎたあたりでなんとなく気づいていたが、同じ舞台で描いた一本の連作集である。可能世界ならぬ仮想世界で人々は生きている時代。意識や肉体が仮想世界にあるというのなら、その外側はどこにあるのか?そもそも外側など存在しうるのだろうか?少しずつゼーガペインというアニメの世界観を思い浮かべたのは現代の読者なら自分だけではないはずだ。それはさておき、本作には80年代からゼロ年代にかけて少しずつ書かれた短編が全てで6本収められている。時代の経過を感じさせないほど、文章の連続性がナチュラルなのはびっくりする。

 「なんと清浄な街」では世界を構成するシステム(超生システムとかいうよく分からない)について触れはするが、そうしたハードSF的要素は全体を見る限りは強くない。ただ、「抱いて熱く」にしろ表題作「小指の先の天使」にしろ、世界の始まりと終わりであったり、内側と外側という以外の境界性に注目している点が特徴である。境界性という意味では、極めつけはラストを飾る「父の樹」だろう。サイエンティフィックな世界における肉体の所在は如何に、である。

 神林長平という作家は本書を通じてとにかく感覚を麻痺させようとしているのではないか、と思う。空間的な意味でもだが、時間的にも後先が分かりづらくなる。「父の樹」などを読んでいると、終わりの先に新しい始まりがあってもおかしくない気さえしてくるが、一方で「猫の棲む処」は明確に始まりと終わりを見据えようというリアルな実感を歓喜させる。終わりはあるのかもしれないし、ないのかもしれないという終わりそのものの境界性について書かれた物語、といってもおかしくはないだろう。

 終わりの有無は、すなわち世界が無限なのか有限なのか、を問うことでもある。そこで持ち出されるのが生の実感だ。「父の樹」と「猫の棲む処」や表題作「小指の先の天使」でも描写されているし、「抱いて熱く」は文字通り生の実感を確かめ合うことがテーマになっていると言っていいだろう。さらに、「抱いて熱く」や「意識は蒸発する」で顕著なのは男女間の恋愛を持ち込むことで、仮想世界で生を実感することが一種のロマンチックにもなっているということだ。喜びを確かめ合うためのロマンなのか、いつか潰えてしまうロマンなのか。終わりの境界性が皮肉にも醸し出すロマンは、まさしく生きているという現実を確認するため、のものでもある。

 物語について触れるのはこのへんにしておいて、文庫版の解説を桜庭一樹が書いている、というのも自分が初めて触れる神林長平作品を本作にした理由でもある。彼女の等身大の神林への思いはあふれんばかりのものであり、かつ書き手としての桜庭一樹ではなく読み手としての桜庭一樹としての神林論、もなかなかに面白い。合わせて一読あれ、と思う。

 どれも自分自身の思索を試されているようで面白い小説だったが、いちばんのお気に入りは「猫の棲む処」かな。なぜか猫が登場するが、猫と言えばハインラインの『夏への扉』が思い出されるように、SFには割と定番なアイコンなのだ(と勝手に思っている)し、かつ猫の存在が単なるアイコンに終わらないように物語的構成がされていて、ちょっとした余韻が切ないお話だった。「父の樹」とは少し異なる、喪失の余韻が味わえる。


2011/5/31

連作短編集
1.抱いて熱く2.なんと清浄な街3.小指の先の天使4.猫の棲む処5.意識は蒸発する6.父の樹)

初版
2003/2(早川書房)
2006/3(ハヤカワ文庫JA)

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