言壺


 ハヤカワから文庫新刊で出ていたので比較的新しい本かと思いきや95年の第16回SF大賞受賞という、しばらく前の本であった。本書は情報技術と言葉、そしてコミュニケーションを扱ってはいるが最初の出版は1994年なのだからウインドウズ95すらない時代である。本書で出てくるコンピュータも、どちらかというとワープロの進化形というイメージを持ちながら読み進めた。とはいえ、書かれている内容は非常に近未来的というか、SF的である。過度に意図をくみ取るコンピュータは逆に無機質にすら思えてくるが、機械そのものは無機質なのだから妙な感じがしてうすら寒くも思えるが。

 本書にはそれぞれに繋がりがあるようなないような9つの短編がおさまっている。冒頭にいきなり「私を生んだのは姉だった」という文章が登場する「綺文」のインパクトはなかなかのものだが、他のお話もどれも遜色ない異質さは十分に放っている。放ちすぎていて理解できなかったり、「没文」や「跳文」のようにあれとあれが繋がっているんだろうか、と思うところで話が終わってしまったりするなどきれいに読解するのは容易ではない。というよりむしろ、そもそも読解できるのかどうかもあやしいが。

 大きなテーマとして挙げられるのは、もはや手で書くものではなくなった言葉についてだろう。つまりコンピュータで打つものになってしまった(それもある意味では理想的に)言葉ないし言語を概念的に、あるいはコミュニケーションの過程で再検討していくことを神林は試みているように思う。読んでいて思ったのは、無機質さというところにも関わってくるが、言葉はどうつづられたとしてもコミュニケーションの回路を通ることで情念のようなものを獲得するのだなあ、と感じた。情念を獲得した言葉を素直に受け入れる人、とまどう人などさまざまだが、言葉が使われるとは結局そういうことなのではないか。

 もうひとつ指摘したいのは、本書に収められている短編すべてではないのだが、多くの短編は家族についての話である。「私を生んだのは姉だった」という「綺文」もそのひとつだし、「跳文」のようにもっと明確に家族関係を描写していることもある。家族だからなのか、家族なのになのかは難しいが、彼らのコミュニケーションの論理一貫性のなさ(「私を生んだのは姉だった」はまさしくその典型であるが)を神林はたびたび本書のなかで描いている。

 なぜこう繰り返し家族を描いているのか。ひとつ言えるのは、家族ほど一般的で、かつ複雑な共同体もないのだろうということだろう。家族とひとくくりにして言えるほど家族なるものは描写しきれるはずもなければ、個々の家族の内側を知っているのはその成員たちだけだ。究極の共同体とも言えるが、密室でもあり、時には愛情の、時には暴力の空間になりうる。たとえば「戲文」で提示される父と子の関係性は、遠いようで近くて、けれど濃密な父と子という関係性を描写している。疎遠になったからといって父と子の関係性が完全に切断されるわけでもなければ、逆にその空白期間を埋めるために子は父を追いかけていく。ありふれているような物語だが、家族という関係性のなかでしか一般的には成立しないだろう。

 言葉が電子の世界でつづられる、あるいは語られることはいまの時代では全く違和感のないことだし、むしろスタンダードになっている。そのときにわたしたちはどれだけ言葉の情念を感じるのだろうか。まったく感じないということはありえない(書類などの類は別として)が、たとえば右手ひとつであっさりとつづられていく言葉に情念などないのかもしれない。ただ、言葉は電子の世界でも消えない限りは残っていくし、「栽培文」で描写されるように、言葉が自生している状況も観測できるのかもしれない。そのとき発見された言葉に、何らかの情念を人は感じ取るかもしれない。

 長ったらしくなってしまったが、神林が1994年に書いた未来がきれいにあてはまっているわけではないし、的外れとも言えない。もっと先の未来に神林が描いた言葉と人との”出会い”が訪れるかもしれないし、もっと別な形で私たちは言葉と出会っていくのかもしれない。人が言葉を介してコミュニケーションするという営みが消えない以上は、言葉は永遠に生き続けるだろう。その先の未来でまた、遠い誰かと言葉が邂逅するのだとしたら、なるほどロマンチックなお話である。とはいえ、本書がSF大賞を受賞した95年に、言葉によるオリジナルな世界を作り上げたオウムによって大事件が引き起こされたのはひとつの皮肉な結末かもしれない。わたしたちの未来は、はたしてどちらか。


2011/12/16

連作短編集
1.綺文2.似負文3.被援文4.没文5.跳文6.栽培文7.戲文8.乱文9.碑文)

初版
1994/11(中央公論新社)
2000/2(中公文庫)
2011/6(ハヤカワ文庫JA)

第16回日本SF大賞(1995年)

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