生者の行進


 読んでいてうまい、ずるい、憎いと思うシーンが豊富にある。単にキャラクターの造形がリアルというのではなく、内面をしっかり書き込むことによって人間関係も濃密に描写している。そして人間関係は連鎖的につながっていく。ありそうでないことがある、つながりのなさそうなところが実はつながっている、なんてのはリアル世界でも(ソーシャルな世界ならなおさら)珍しいことではない。その、ある意味普通さであるがゆえのリアリティを提示しながら、息をのむようなどんでん返しを演じさせるのは作家としてすぐれている証だろう。

 生者の行進と題打っている妙味はいくつかあるが、結果として生者となった4人がそれぞれに思いを独白、または暴露していく過程を、その実際の行動と合わせて行進と表現していること。その行進はどこに向かっているのか、というのもミステリ的な匂いを感じさせる。そして生者である、と明示することは死者に対しての行進でもある。死者に手向けをするために、なぜ死者が死者となったのかを明らかにするために。

 基本的にはいとこ同士の隼人と冬子がメインのキャラクター。冬子の高校の唯一の友人美鳥と、もう一人スオウという美鳥の過去を知る少年を加えた4人の人間関係のもつれが最終的には展開されていく。1〜4章までは隼人と冬子が人称を交代して書かれており、たとえばある章での一方の行為や発言に大して次の章ではもう一方の感情が露呈していく。ふたりが何を考えているかが、あくまで書かれていることベースではあるけれども(ミステリなので何が書かれていて何が書かれていないかは重要)ふたりの人間関係の奇妙さ、濃密さ、そしてダイナミクスを実感していく。

 言ってしまえばおめーらなんだかんだいってるけどめちゃくちゃお互いのこと考えてんじゃねーか、ってところなんだけれどそこは素直になれない思春期のふたり、ってところがまず第一。また、それ以上に積み上げてきた関係性の歴史だとかがじわじわと響いてくる。恋愛関係にはなかなか踏み切れない、いとことしても奇妙な関係。歳を重ねることで男女の関係を意識し始め、そこで若さゆえの苦悩が生まれる。そうした苦悩は美鳥とスオウの中にも当然ある。

 読んでいて単純に思うのは、隼人と冬子の奇妙な関係を描くだけでもそれなりには面白い。冬子に振り回され続けた隼人、隼人を振り回す(冬子の表現を使えば隼人のものを奪う)ことでアイデンティティを築いてきた孤高の存在である冬子。言ってしまえばこのふたりにはエピソードとしてもキャラとしても非常に華がある。それに比べると美鳥の存在は冬子にかき消えるし、スオウの存在はポジションが独特だがどこかおぼつかない。

 石野晶が秀逸なのは隼人と冬子のコンビと美鳥とスオウの関係をあくまで対称させるように描くことで、隼人と冬子の構造を美鳥とスオウにも落とし込んでいく。最後のほうになるまではっきりとは語られないが、美鳥とスオウの関係の構造、つまり持ちつ持たれつであり、過去のある地点に根ざしている点などは鏡映しのようでもある。細かく関係性を見ていくと別なふたりはあくまで別なふたりであるが、ふたりを2組書くことで4人の中の人間関係を描きながら、2対2の構図へときれいに落とし込んでいくことに成功している。

 2対2の構図に持ち込むもうひとつの上手さは、関係性の反転を2重に描くことを試みているところだ。隼人は冬子に対して、スオウは美鳥に対して自尊心を抱き続けながら生きてきた。他方で、冬子や美鳥の側はただ単に隼人やスオウの背中を見ていたのではない。隼人の前、あるいはスオウの前では打ち明けられない思いを抱えていて、そうすることによって逆説的に関係性を維持してきた。その関係性が過去の謎を解くことで崩壊しようとするとき、つまり冬子と美鳥が隼人とスオウを救う側になるとき、この関係性の反転がカタルシスを生む。ただでさえ控えめで、冬子のそばにいることで相対的にも影の薄い美鳥が明らかにする事実が、何よりもこたえる。サッカーでも最後に得点を決めるのはずっと消えていたフォワードだったりするわけだけど、美鳥のナラティヴが冬子の比じゃないとは予想できなかった。
 
 自分をうまくだせない、相手を思うけれどうまくいかないなどなど、若さゆえの人間関係のぎこちなさから始まるものも、ミステリーとしても読み応えのあるカタルシスまで持っていく筆致はなかなか。青春もの以外でも十分書けるだろうし、まだ読んでない著作はあるが今後楽しみな作家のひとり。あと読んだあとに気づいたが、表紙絵が古川本舗のアートワークで有名な純さんではないか。


2012/8/29

長編

初版発行
2012/6(ハヤカワ文庫JA)

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