ともだち


 読んでいて思ったのは、これは誰の物語なのだろう、ということだ。女子高生が連続で暴行されるという事件が起き、小山内刑事をはじめとした警察が捜査をする。小山内刑事の存在を書き込むことによって、ミステリとしての本筋に本作の主人公神子上さやかが大きく絡むことはない。さやかはさやかの生活を、女子高生としての彼女が描かれているにすぎないと言ってもいいかもしれない。そうした一見して繋がりのないような2つのパートが少しずつ絡み合うような合わないような、まるで大人と子どもの世界を行き来するような、もどかしさややるせなさがあふれている。ただ、そうした行き来する感覚を味わうために、視点はあくまで女子高生であるさやかだが、彼女以外の視点で見てみるのも面白いだろう。

 神子上さやかの通う高校の女子生徒が繁華街で相次いで暴行される事件が続いていた。幸いにしてこれらの生徒の命は助かっていたが、ある日さやかの所属する美術部の一員であり、校内一の美女である小夏佐和子が殺害される。なぜ佐和子だけが死ななければならなかったのか、と。                

 こうした循環は、『林檎の木の道』で広田と友崎が事件を探る上で直面していくものに似ている。血なまぐさくてやるせない事件の背景には様々な思惑があるが、表にでてくることはなく(だから事件になると言えるのだろうけれど)”知らなければよかった”ことまでも目の前に晒されていく。それ自体がミステリーの醍醐味であるのだが、樋口有介の場合は青春のほろ苦さも合わせて描くのである。「林檎」がそうであったようにだが、本作では探偵役はあくまで小山内だ。さやかの役回りが「林檎」の広田や友崎とは異なっていることは一つ押さえておいていいだろう。

 そして小山内やさやかが十分魅力的なキャラであるのだが、さやかのじいさんの存在もユニークだ。生臭い展開の中で小山内刑事の活躍や神子上のじいさまの平穏さは救いにもなるし、描かれているストーリーが日常の中のワンシーンであるという錯覚を見せられる。身近で起こっているとはいえ日常とは本来かけ離れているのだが、あえて日常を、特に学校生活を描写しているという点も本作の特徴である。さやかがどういう位置に立っているのか、どういう視点で事件やその周辺を見ているのかというのが読者にも非常に分かりやすいのだ。

 こうして振り返ってみると、「ともだち」というタイトルを当てながら主人公のさやかの「見える世界」と「見えない世界」を交互に描き出す。ともだちはどこにいるのか、それはさやかが見えている世界なのか。確実に「見える世界」にいる友達との関係性(たとえばさやかを慕う水涼であるとか)を描くことで世界を明確に区別しているとも言える。「見えない」世界は大人の世界かもしれないし、「見たくなかった」世界 なのかもしれないが、思春期という常にもどかしさを抱える時期に直面するということはどういうことなのか、をふと考えさせられもする。そうした中で毅然と立つさやかはカッコイイんだけどね。

 樋口有介にしては主人公周りの恋愛要素がほとんどないのも珍しい。というのは主人公が女性であるせいかもしれない。主人公が男の場合は華やかなヒロインが必要だが、さやかは十分魅力出来だし死んだ佐和子やおてんばな後輩水涼を描く中で恋仲を登場させる必要はそもそもなかったのだな、と読んでいて気づかされた。後期の樋口作品にはよくあるように、主人公以外のサブキャラも比較的書き込まれていて、そうしたことが物語そのものの魅力、そしてさやか自身の魅力に十分結びついている。なにせタイトルが「ともだち」でもあるし。

 ミステリーでも恋愛物でもなく、一つの青春小説として読むのがおそらく吉。それも青春のほろ苦さを噛みしめるために、そして青春時代に何が大事だったのかを振り返るために。もしくは子どもから見える大人とはどういうものなのか、というのも視点の一つとして持つと感慨深いかもしれない。不完全であるからこそ、人は人たりうるのだろうか、と。


2011/3/27

長編

初版
1999/4(中央公論新社)
2002/8(中公文庫)

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