夏の口紅


 「夏の口紅」という表題であるのだから夏の間に読まなければと思っていたが、9月の終わり(大学の夏休みの終わりではある、という言い訳はできるが)にずれこんでしまった。とはいえ『ぼくと、ぼくらの夏』ほど都会の真夏感やそれにともなうけだるさのような描写は少ない。どちらかというと夏真っ盛りではなく、夏の終わりや秋の余韻を感じる季節にちょうどいいように思ったので、こじつけかもしれないが9月の終わりというのは本書を読み進めるのにふさわしかった。

 物語の軸はふたつある。ひとつは父親の死の理由と形見を探る物語。そしてもうひとつは甘くて淡い恋のお話。これは樋口有介が得意とする手法でもあるが、ミステリーとしての本筋とラブストーリーとしれの横筋を交互に描写し、ふたつの筋の相互作用がかもし出す物語(あうふへーべん、はきっと言いすぎだろうが)をつくりだす。読み終えてみるとどちらがメインというわけではなく、どちらかが欠けても、という構成に仕上げるのは樋口のうまいところであるが、本作の場合も2つの筋が巧妙に絡み合っていてなかなか読み応えがある。物語の深みというよりも、どちらかというと読み終えたときの余韻のすばらしさではあるが。

 これは文春文庫版解説で米澤穂信が書いているのだが、なんといってもヒロインである季里子(18歳)が非常にかわいい。書評で使う表現ではないと思うが(まあ趣味で書いている文章なので許してほしい)これは反則的なまでにかわいい。はじめから主人公に歩み寄るわけではなく、高くから見おろすわけでもなく、季里子は自分自信の語りという行為をしない。主人公である笹生礼司の質問(状況によっては問答にも見える)に応えることで少しずつ内面を露呈こそすれ、本意がどこにあるのかはなかなか見えない。それでももっと知りたいと思わせる不思議な魅力が季里子にはあって、男は大概そういう女の子が好きだったりする。たぶん。

 で、そういう意固地で素直じゃない女の子なので(季里子の母である久仁子は当初病気だと礼司に告げるが)簡単に揺さぶってもうまくいかない。たとえば次のシーンなんかはなかなか秀逸で、ふたりの関係性をうまく表していると思う。

「おれ、初めてなんだ」
「動物園のこと?」
「いや」
「お好み焼き?」
「まさか」
「なんのことよ」
「女の子と墓場でデートするのは、生まれて初めてだ」


 樋口祐介の描く主人公格の男は往々にしてニヒルというか、シニカルな会話を見せることが多く、ヒロインとの会話が魅力でもあるが、本作ほどうまくツボにはまっているのも珍しいように思う。あくまでかけあいとして楽しむのではなく、相手を揺さぶり、こっち側に引き込むために会話をこなす。それこそなんでもないデートマニュアルよりもよほど、デートの会話の見本になるかもしれない(まあちょっとしたセリフを吐いたところで9割方スルーされそうだが)

 礼司と季里子の関係性をもっと端的にかつ一般的に言うと、知らない相手を知っていく、という行為の積み重ねである。そしてそれは礼司自身の父親探しにもつながる。単に知らなかったことを知るのではなく、それが肉親である場合は自分にも跳ね返ってくるものがある。知らないほうがよかったことの場合、ダメージは大きい。父親は死んでいるが父親が残したものや人は生きていて、それらの真相にたどり着いたときに、礼司が自分の立ち位置に戸惑いを見せるのは自然なことだろう。

 戸惑いを感じるのは季里子の立場でもそうだ。彼女も今まで接したたことのないような笹生礼司という、よく分からない年上の大学生(そして異性)と、短期的にではあるが継続的にかかわることによって変化を見せていく。そうしたふたりの変化がもたらす気づき。コミュニケーションの積み重ねによってまだ見ぬ何かにたどりついていくし、礼司にいたっては自分を知る誰かに会うことで自分の人生を見つめなおしていく。さっきにも書いたようにそうした気づきがもたらすものは色々あって、礼司は自分自身の女性に対しての向き合い方。季里子の場合は自分自身の内面の開き方。まあざっくり言ってしまえば対人関係の構築や様式をふたりは模索していく。もうその時点で十分カップルのようなものだけれど、明確な言葉は当然出てこない。最後までそうなのか、どこかで口火を切るのかは、読んでからのお楽しみということで。

 そう、死んだ父親にしても、季里子にしても、あとは父親にまつわる今まで礼司自身が知り得なかった人間関係にしても、どうやって受け止めていくか、あるいは受け流していくかがずっと問われていく。大学生にしては少し大人びているように描かれる礼司でも苦悩は隠せない。前にも書いたように『ぼくと、ぼくらの夏』ほど都会の夏のけだるさは描写されていないが、物語の構造は非常に似ていると思う。違うのはミステリーの要素はあくまでネタであって、謎解きそれ自体にさほど重要性がないあたりか。このへんがなぜなのかも文春文庫版の解説で米澤穂信が書いているのでそちらをどうぞ。

 つらつら書いてきたのであまりまとまりのない結果になってしまったが、死を追いかけるとはいいつつそこまで酷な話ではないし、当事者でない読者は比較的肩の力を抜いて読める小説ではあると思う。たとえば雨の日に、部屋に引きこもって読むであるとか、昼下がりにコーヒーを飲みながらイスに座って読むであるとか、そういった性質かと。電車の中で読んで礼司と季里子の会話ににやにやしてたら変な人だと思われるので要注意。2度文庫化されていて最初の版がでてからもう20年前になるが、今でも十分読み応えはある。『ぼくと、ぼくらの夏』は昭和のころに書かれたものだけど、古さを感じさせないのは今回も単純にすごいなあと感じる。そうでなければ2度も文庫にはならないか。


2011/10/8

長編

初版
1991/10(角川書店)
1999/9(角川文庫)
2009/7(文春文庫)

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