海流のなかの島々[原題:Islands in the Stream]


 ヘミングウェイをちゃんと読んでいるわけではなく、中学のころに読書感想分用にまず『老人と海』を読み、そのあと代表作のひとつ『日はまた昇る』と、『移動祝祭日』というエッセイのようなものを読んだが、これでまだ4作目なので大したことは書けない。書けないなあと思いつつ、読みながらヘミングウェイらしいと思ってしまう何かがあるのも同時に感じる。『老人と海』と本作の関係については新調文庫版の解説で沼澤氏が詳しく述べているのがとても参考になった。

 たとえば『老人と海』と同じく海と海をめぐる生活全般がモチーフになっている(それほど長くない『老人と海』に比べて全体として一定の長さがあるので海を直接描写する文章は分厚くはないけれど)ことや、『日はまた昇る』と共通するのはアドホックでしゃれた短い会話が矢継ぎ早に続いていくこと。これらを抽出するだけでもヘミングウェイらしさは出ていると思うし、特に2つめの特徴は読んでいて他の作家と違うとすぐに分かる。

 『老人と海』とも共通しているのは自伝的な要素が強く、どちらかというと冷めていて悲観的だ。暗い話がずっと続くわけではなく、むしろしゃれた会話からは底抜けた明るさのようなものを感じることができる。しかしながら独立した3つの章ではいずれもなんらかの喪失を結末として迎えることになる。積極的に読むとハードボイルド的なストイックさも見いだせる(これは『老人と海』でもそうだったかもしれないが)が、そのストイックさが逆に感情を押し殺していることにもつながっているように思えた。派手な展開や深い悲しみを描くわけではないのだが、書かれていないからこそ見えない部分に気が向くようになっている。それはトム・ハドソンという男の魅力でもあるのかもしれないが。

 会話のテンポがはやく細かい描写は見逃しがちにもなるが、会話がいったん落ち着くと長く丁寧な描写に入るシーンが続くのも読んでいて印象的な部分だった。トム・ハドソンという男の生活リズムを垣間見るように、生活そのもののリアリティが過剰でなく伝わる。ビミニで絵を描きながら過ごした子どもたちとの日々、キューバにおける新しい出会いと別れ、「洋上」で描かれる海の男たちの物語とその結末・・・書かれていることを端的にこうやって表現することはできる。だが、ここで実際に書かれている濃密さを表現することはできない。小説であるということの魅力は、すなわち小説でしか表現できない可能性を追求することである。

 正直言うとすっ飛ばして読んだところがいくつかあったので(そもそも当時の世俗を知らないとついていけない会話はけっこうある。それでも面白いのはシンプルでシャレていて、何より読みやすいからではある)具体的にこの小説について何か述べるのではなく、ちょっと引いたところから大づかみとして本作をとらえてみた。なのでエッセイと書評の間、もしくはちょっとした覚え書きやメモのような文章に今回はなってしまった。もともと色んな意味で息抜きをするために久しぶりに翻訳ものを読んでみようと思い手に取ったのが本作だったが、夜な夜なした時間帯でも文体が(翻訳のおかげでもあると思うけど)読みやすいし。長い夜を過ごすにはふさわしい小説であったと思う。

(おまけ)
 「ビミニ」につらねて父と子の話で言えば最初にあげたなかでは『移動祝祭日』以外はすべて(本作も)父の書棚からくすねてきた。小遣いの乏しかった昔はそうしたことが多かったが、久しぶりに父の記憶を覗いた気がする。手元にあるのは昭和52年発行の文庫本上下刊なのだが、25年の間にしみついた様々な匂いを感じている。そういえば最近父の日だけど何もできなかったな、と思い思いしているが、子はいくつになっても父の背中を追いかけている、ということだけは間違いないと確信した22歳の梅雨である。と、ぼそり。


2012/6/30

長編
1970(Charles Scribner's Sons)
1971(新潮社)
1977/10(新潮文庫 上下)
[新装版]2007/6(新潮文庫 上下)

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