死の島


 ここまで純粋で、かつ複雑で饒舌な小説はなかなかない。福永が書いてきた長編のなかで最も長い分量を誇るだけのものはあったし、それでいて主要登場人物が3人しかいない(3人だけというわけではないが、ほとんどの文章はこの3者に関係する描写や記述に費やされている)ことで、かなり密度の濃い小説に仕上がっている。「死の島」は作中にも登場するある絵画からとられたタイトルだと思われるが(そして現実の世界にも同じタイトルの絵画があるらしい)絵の完成を見守るように小説が進んでいくようにも思えた。

 複雑なものを複雑なまま書くという行為は、読者にとっては多くの負担を強いるものだろう。しかしこの複雑さがなければ、この小説は別物になるだろうと思うくらい、ここで書かれる複雑性に惹かれる。完全にネタバレをしてしまうと、ノベルゲームにおけるマルチエンディングに似た形式をこの小説はとっている。普通の小説からすれば、結末を放棄していると言っていい。しかし、必ずしも結末が一つである必要はない。なぜならばフィクションにはifが可能だからだ。それだけが本作のラストを支持する理由ではないのだが、願望も込みでこうあってほしいという結末を一方では用意しつつ、他方では現実的でシビアな結末も用意した。このことをどう考えるか、なぜ福永はこうした形式をとったのかを簡潔に述べるのは難しいが、一般的な小説のあり方を逸脱する、超越するあり方をとったこと自体は評価したい。

 何度も複雑という言葉を使ってきたが、複雑なのはまずは構成だ。基本的には3人、相馬鼎、萌木素子、相見綾子の人間関係と内省の話なのだが、一番メインとなると思われる相馬鼎のパート自体複数ある。この小説のなかで、現在という時間はたった1日しかない。その1日は、相馬が素子と綾子を追うために広島へ特急列車に乗っていく、その過程が描写される。特急といってもこの時代(戦後10年ほどと設定しているらしい)の電車はいまほど早くはないし、もちろん新幹線もまだひとつも開通していない。東京から名古屋の間の移動だけでも夕方になってしまうほどで、広島に着くのは未明という時間帯になる。所有している新潮社の単行本の下巻にはご丁寧に作中の時刻表まで入っていた。今年復刊した講談社文芸文庫版がどうなのかはよく分からないが。

 という、相馬鼎のパートがまず中心にある。他は過去のパートが大半で、この過去もまた膨大にある。過去に起きたさまざまなことを時系列ごちゃまぜにして書いているし、伏線と呼ばれるようなものがどれだけ散りばめられているのかは正直よく分からない。他に、素子の内省のパートや、小説家志望の相馬鼎が書いた作中作がいくつかあって、それぞれに題名がつけられている。こうした複数のパート、複数の時間軸、あるいは複数のフィクションとノンフィクションが上下巻に渡って、特に決まった規則もなく繰り返されるのだから、複雑だとしか言いようがない。そうした複雑さは容易に小説の欠点になるのかもしれない。だからというわけではないが、この小説を評価することが難しい。どこをどうから評価しても、おそらくこの小説のすべてに触れることはできない。すべてに触れようとすると、この文章自体が複雑なものになってしまうだろう。

 ここから書きたいことは次のことに絞る。それは、この小説を今読む意味はなんなのだろうか、ということだ。少し前にこの小説は戦後から少し経ったころの日本が舞台になったと書いた。とはいえ、さほど古くささを感じさせないのは福永らしいところだろうと思う。ポップというわけではないが、若い男女の交わす会話の内容は、その話法こそ除外すれば古びるものではない。男がいて、ふたりの魅力的な女に惹かれていく。そして、ふたりの女のうちひとりの女は、もうひとりの女に惹かれていく。魅力は影と隣り合わせでもある。膨大な内省は、いつの時代にも共通する生きづらさを表現している。

 この時代が戦後なら、いまの時代は災後だと言うことはできる。もちろん規模や被害の大きさは違うが、どちらも原子力や放射線というものの影響を大きく被ってしまったあとの社会だ。ここからはネタバレしないとどうしようもないので書くと、相馬が広島に行く理由は広島に素子がいるからだ。なぜ素子が広島にいるか。それは彼女が被爆者だからだ。素子の内省のパートでは、戦争の記憶が断片的に、それもかなり唐突に挿入される。ひとつひとつの量は多くないが、パートを繋ぎ合わせるとそれなりの分量にはなるだろう。こうして彼女の痛みを、読者は文章を通して追体験することになる。

 なぜ1970年代という、高度経済成長を経て、原子力が夢のエネルギーになっていく時代に、福永はこの小説を書いたのか。ちゃんと調べればどこかで語っていたり、あるいは語られていたりするのかもしれないが、福永なりに彼の表現の範囲内で書きたいことがあったのだろう。いわゆる戦争文学や原爆文学というものがこの国には多く存在するが、福永はあくまで福永らしい、ミニマルな人間関係の濃密さを書くというスタイルは失わないまま、戦後を書いた。彼自身が戦争を経験した人間だからというのもあるだろうし、彼自身戦後の生きづらさを新潮社から2011年と2012年に刊行された日記集(それぞれ『福永武彦戦後日記』、『福永武彦新生日記』)で詳細に記録しているらしい。だからこそ、たとえば相馬鼎は福永自身からどこまで離れていて、どこまで重なるのか、はっきりと断定できない。福永は私小説の作家ではないから、私的なものとして書いたというのは早計だろう。しかしながら、私性がこめられていなければ、相馬鼎の発言ひとつひとつが空虚なものとして思えてしまう。

 話を戻そう。2011年3月11日以降、災後を明確に意識した小説は数多く書かれている。しかし、そのいずれもが成功しているとは言いがたい。書きたいものがあるのは分かるが、書きたいものが先走るあまり、本来の作家自身の表現を見失っているようにも思えるからだ。そうではない希有な例としていとうせいこうの『想像ラジオ』を挙げることはできるだろうが、これも三島由紀夫賞の選評ではかなり批判的な言葉を浴びていた。結果、候補にはなったものも受賞には至っていない。芥川賞でもこれに近い評価だったようだ。それでもいとうせいこうが、被災の当事者とそうではない外部の人との間をつなぐために、想像ラジオという架空の手段でコミュニケーションをとろうとした、その方法は評価されるべきだろう。

 福永も直接的に戦争を表現するのではなく、キャラクターに語らせたり、内面を深く掘り下げることで戦争を、とりわけ原爆について言及しようとしている。このやり方は、個人の体験としての原爆、戦争といった点に焦点を当てているということになる。それは、いままでの福永のスタイルを崩すことなく、それでいて戦争について、原爆について書きたいという意志を投影していると言うこともできるだろう。

 「この小説を今読む意味はなんなのだろうか」という問いに戻ると、かつてこの国で誰かが経験してしてきたことを、長い時間が経ったあとに改めて追体験することができるのは、ひとつの魅力であるし、福永がこの小説を書いた意義でもあると思う。とりわけ、事実は伝えられても人々の思いや彼ら彼女らが感じたことは、容易に他者に伝わるものではない。そして当たり前だが、人はいつまでも生きてはいられない。それでも本というメディア、小説という形なら残すことができる。単なる事実ではなく、人の痛みという重みのこもった記憶を、引き継ぐことができる。

 長らく絶版だった本作が、例によって高価ではあるが講談社文芸文庫から復刊されたことは評価してよい。日本には青空文庫というメディアがあるので、あと数十年先には(著作権法が大きく変わらなければ)本作がネット上でより多くの人に読まれるということも望めるだろう。戦争、原爆というタームからいったん離れても本作は珠玉の作品たりうる。もっと多くの人に読まれることを、純粋に期待している。


2014/3/7.

初版
1971(講談社 上下)
1975(河出書房新社)
1976/12(新潮文庫 上)
1976/12(新潮文庫 下)
1988/4(福永武彦全集10、新潮社、上)
1988/5(福永武彦全集11、新潮社 下)
2013/2(講談社文芸文庫 上)
2013/3(講談社文芸文庫 下)

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