草の花


 本作は福永の初期作の一つで、以前レビューを書いた『風土』のあとに書かれている。『風土』がそうであったように、戦争の足音がこの本にも長く響き渡っているし、その一方戦争が近づく中で生きた若い人たちの青春を書こうとしていることも『風土』に通じている。明るい部分もあれば、内向的で鬱屈とした部分もあり、ある年代に特有な事情は時代の影響を鑑みなければ普遍的に通用するものになっている。どのように生きるべきかについて、過剰なまでに思い悩むある登場人物は、『風土』のその先にあるキャラクターでもあろう。

 構成は少し独特で、汐見茂思という青年の遺したノート(手帳)を、汐見とサナトリウムで出会った「私」が追想的に開いていく。物語の大部分は汐見の記したノートにあり、私がサナトリウムで過ごす日々への言及はさほど多くない。多くはないが、サナトリウムの静かな描写は福永が尊敬した堀辰雄の「風立ちぬ」を思い出した。実際のサナトリウムがどうだったのかはよく知らないが、福永も堀も、サナトリウムという(特殊な)場所に生きていたかもしれない人たちを生き生きと描き出そうとしていることに少し救いを見た。

 福永が本作で試みたことの一つは愛情だ。恋愛でも性愛でもなく、愛情という感情そのものの向け方だとか、自己においてそれをどう扱うかであるとかを汐見茂思と彼の周辺の関係を通して描きそうとしている。汐見のノートはある種作中作のような形式をとっているが、本作において彼のノートはかなりのボリュームを占めている。よって、「私」の出番はさほど多くはない。多くはないがなぜこの形式をとったのかは引っかかるところでもあるから、後ほど触れてみようと思う。

 汐見茂思は二つのノートを残していた。一つ目のノートには藤木忍との関係を、二つ目のノートには忍の妹である藤木千枝子との関係を様々な思い出やエピソード、会話などを織り交ぜて回想的につづっている。重要なのはまず、最初に愛情を持った相手が藤木忍であるという点だ。彼は男性で、汐見茂思も男性だ。この二人が恋愛関係以上のものに発展すれば同性愛と名付けるのが適当かもしれない。だが、汐見と藤木の愛はそういった性質のものでもなく、より純粋に精神的な思いの交換であるように見える。それだって十分同性愛的な関係性かもしれないが、形式的にこの二人の関係性を名付ける言葉を探すのはあまり適切でないように思える。

 それは千枝子との関係性にも同様だ。恋愛未満、性愛未満であって汐見は藤木忍にも、千枝子にも接近できたようには見えない。むしろ遠ざかっているのではとすら思う。ここに福永の一つの狙いがあるとするのなら、汐見が誰かを愛しようとする一方で、自身の孤独について思念を深めていく点にあるだろう。誰かを愛するということは愛されることを望むことでもあるかのように思えるし、汐見もその気持ちを持っている。他方で、誰かを愛するということを躊躇し、孤独な存在として昇華していくこともまた望んでいる。汐見には死が身近なものとして見えている。

 僕は死臭に包まれて生きている。生きることが努力であり、義務である中に、自らの胎内に死を孕みつつ、多くの人々の次々に死んで行くのを、この眼で見詰めながら生きている。(新潮文庫版 p.122)

 これはサナトリウムに入ってからの汐見の記述ということもあってか、いささか詩的で美的なほど死のイメージがリアリティを持っているのが分かる。だが、ネタバレになるので書かないがある出来事によって死のリアリティは一続きになっているように思う。そのことによって汐見が持っていた孤独感と、人を愛することの困難さと、身近になった死。これらも汐見にとって一続きのものになっていると考えていいのではないか。二冊目のノートに記されているように、藤木千枝子との愛も挫折した汐見は、サナトリウムに入ったあと、ある決心をする。この決心は彼にとって、生きることそのものだったのではないだろうか。一般的には、とてもそうとは思えないし、むしろ生きること(生き延びること)とは逆の行為を選択しているように見えるとしても。

 汐見の短い人生を見届けた「私」もまた、サナトリウムにいるという現実に立ち返ってこの小説は終わる。なぜ汐見はある決断をしたのかということを謎だとすればミステリーを解くような構成でもあるが、謎を残した人間が死した以上、すべてが解かれるわけではない。だが、彼と関わった人は生きている。「私」もそのうちの一人だし、彼の愛した人もまたそうである。福永が最後に突きつけてくるのは、このごくありふれた事実であるが、汐見の長い記述を見たあとにはこうしたごくありふれたことですら何かしらの大きな意味を持ったものとして立ち上がってくる。彼は何のために生きて、何のために死んだのだろうと、ふと考えてしまう。汐見自身も持っていた、答えなどない問いを。


2014/3/7

長編

初版
1954/4(新潮社)
1956/3(新潮文庫)

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