風土


 早稲田の古本屋でたまたま全集を見つけて(しかも100円)買って来た中に本作が収録されていた。福永武彦を読むのは『忘却の河』と、全集の最後に収録されていた「幼年」に次いでこれで3作目となる。これが福永の処女長編らしい。『忘却の河』は河、今回は海がストーリー全体をながれている。とこどころにはさまれる重層的なシナリオが、寄せては返す海を意味しているのかもしれない。前半は読んでいて過去と現在のシナリオが混同しすぎてよく分からなくなるときもあったが、基本的には福永の文章は非常に読みやすいし、体の中にしみこんでくる感じがある。文章のひとつひとつのつながりが非常になめらかであるし、桂という画家の語り以外に難しい表現は出てこない。あとは回想シーンでところどころにフランス語とドイツ語の単語がまじるのがよく分からない(特にフランス語が)くらいで。作家のタッチなのかもしれないが、すぐれたリーダビリティである。

 1939年の夏(第一部と第三部)早川久邇は海のそばで夏を満喫していた。大好きなピアノをひいたり、海辺にくりだしてみたり。隣にいる三枝道子に対して、未だ定まらない想いを抱えたまま。一方、桂昌三は再会を果たしていた。その相手は道子の母、芳江。芳江との別れ、そして自分の将来を決めた16年前(第二部)をふりかえりながら、また新しい決断を下そうとしていた。

 若い2人が生の喜びを語れば、大人は(主に桂は)死を問う。桂は死から割り出して生を問うというスタンスだが、割り出すなんていう考えはそもそも若い2人はないもので、桂独特のものだ。近いところに死があってもおかしくないということを彼は考える。その要因となる桂の過去から感じとれるものは、人生に対する悲観なのかもしれない。

 あるいは、一般的な人生に悲観したからこそしがない画家として好きなことでなんとか食いつないでいく生活を自身の誇りとしているのかもしれない。「人間と芸術家は違う生き物だ」という桂独特の思考にもそれは表れていると思う。この言葉は桂にとってだけでなく、意外と重くのしかかっていく。なぜなら久邇もピアニスト、つまり芸術家志望だからだ。桂の言う芸術家とは少し意味が違うかもしれないが、ごくあたり前の人生ではない。そこに桂にとっての芳江、久邇にとっての道子の苦悩ものしかかる。

 すべてを死から割り出して生きよう。


 風土、というタイトルにもあるとおりだが桂を通じて作家は様々なものを問いかけている。日本という文化的に特異な地域は桂を苦しめているようで、それは作家も感じ取っていたのかもしれない。そもそも日本的なものとは何なのか、古い日本には何があったのか。今の日本はどこからきて、どこへ向かおうとしているのか。「どこへ向かう」という点は桂にとっては、それは戦争の足音が近づいていることと無縁ではない。第三部からラストにかけてはそのことが色濃く出ている。まだあくまでも、何かが始まる前ではあるが。そういう意味では全面に出さずにかすかに文章として演出しているのは上手い。桂と芳江と久邇では感じ方が全然異なるのは不思議なことでもなんでもないのだろう。今の自分たちだってきっとそうだ。

 それに、桂にとっての風土、という意味ではかつていた場所に帰って得たものでもあるのだろう。時間をかけての逡巡。特におおかた報われない逡巡は痛々しくもあるし、若い久邇や道子に羨望のまなざしを向けるのもやむをえないのだろうけれど、自分が感じ取っているものに対する信頼は確実に深めていっている、そんな気がした。次の台詞が象徴的である。

 過去を見ながら生きてはいけない。現在の時間を完全に燃焼させて未来に向かって生きなければならない。それには、行動の中に自分を投げ込むことだ。

 これは回想シーンでの桂の台詞だが、話の後半の桂は自分自身でかつてのこの言葉をかみしめているような、そんな気がしてならない。その桂の決意の一番の対象は芳江、つまり報われない愛である。第一部と第三部でとこどろころに挟まれる久邇と道子のパートに比べて、桂と芳江のパートがなんともの悲しいことか。希望や未来のあるかないかなのだと桂なら言うのかもしれない。それは若いからこそ信じていられるものであり、大人になってしまったら幻想になってしまう、のだろうか。若い自分にはまだよく分からない。少なくとも希望がない世界で生きていくのは相当な苦痛だろう。

 調べてみたらおよそ10年をかけて福永武彦はこの長編を書き上げたらしい。戦後から始まり、55年体制を経て完成を迎えた。処女作には作家のアイデンティティが表れているというが、まさにその通りだろう。読みやすい文章の中に様々な卓越した思考や哲学が織り込まれ、そのたびにページをめくる手が止まってしまう。生と死、というテーマは大きくかかげられているわけではないが、必要な要素としてちりばめられていることで少しずつすり込まれていく。非常に有意義な、充実した時間だった。もっとたくさん読み取るべきところはあったのかもしれないけれど、今はただこの本を入手できて、読むことができて満足している。ちょうど今は9月のはじめで、夏の終わりと秋の気配がほのかに感じられるころに読むことができたことと、自分が海のそばで生まれ育ったという偶然にも感謝したい。あと早稲田の古本屋にも。さすがです。


2009/9/14

長編

初版発行
1952/7(新潮社) ※第一部と第二部のみの省略版
1957/6(新潮社)
1968(新潮社)
1972/6(新潮文庫) 

 

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